憲法市民集会「フクシマから考える暮らしの安全」 [くらしと安全(交通事故その他)]
兵庫県弁護士会で11月12日に原発に関する集会をします。
http://www.hyogoben.or.jp/topics/pdf/111112kurashinoanzen.pdf
京大原子炉研究所今中哲二助教や、井戸謙一弁護士(元裁判官、志賀原発二号機差し止め訴訟の裁判長)が来られます。
私も、簡単ですが、原発問題に対する弁護士会の取り組みなどを紹介する基調報告をします。
近畿方面のかた、是非ご参加下さい。
http://www.hyogoben.or.jp/topics/pdf/111112kurashinoanzen.pdf
京大原子炉研究所今中哲二助教や、井戸謙一弁護士(元裁判官、志賀原発二号機差し止め訴訟の裁判長)が来られます。
私も、簡単ですが、原発問題に対する弁護士会の取り組みなどを紹介する基調報告をします。
近畿方面のかた、是非ご参加下さい。
「奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち」(小学館) [だから,今日より明日(教育)]
兵庫県神戸市の私立灘中学校、橋本武先生の授業について書かれた本です。
中学3年間かけて、横道にそれながら、中勘助「銀の匙」を読むのが、この先生の国語の授業。
教科書は使わず。
戦後の話です。
確かに、こんなことが許されるのも、トップ校の特権みたいなものかもしれませんが、教育の場面では、上から「型にはめる」よりも、現場の創意工夫というものが大切、ということを感じさせてくれる本です。
なので、学ぶ側(教育を受ける側。生徒、保護者。)も、「型にはまったもの、即効性のあるものを与えてくれるよう」望むのではなく、受け容れる幅を広く、素直な気持ちで学びに臨んでゆければ、先生も生徒も共同して充実した良い時間を過ごせるのだろう、ということになると思います。
一言で言えば、色んな面でおおらかさ、って大切だな、と思いました。
「Q&A モラル・ハラスメント」(明石書店 橋本智子ら著) [法律案内]
私も、離婚事件を扱うことがあります。というよりも、離婚事件は常に何件か抱えています。
離婚原因というのは法律できまっていて、
1 相手に不貞行為があった場合
2 相手から悪意で遺棄された場合
3 相手の生死が3年以上不明である場合
4 相手が強度の精神病にかかり、回復の見込みがない場合
5 婚姻の継続が困難な重大な事由がある場合
というのが民法の定めです。(この5つは法定離婚原因と言って、この理由があれば、一方からの離婚請求によって離婚できるというものです。もちろん、これに限らず当事者同士が同意して協議離婚することもできます。)
さて、ここで紹介する本のタイトル「モラル・ハラスメント」というのは耳慣れない人も居るのでは?と思います。
簡単に言うと「心の暴力」です。
いわゆるDV(ドメスティックバイオレンス)というのは、一般には、殴る蹴るというものであって、それならば、分かりやすいのですが、「モラル・ハラスメント」というのはそれとは違って、少し見えにくいものです。
つまり、必ずしも身体的暴力があるわけではないけれども、暴言とか、態度によって、精神的に支配され、苦痛を強いられ続ける、というものです。
「殴る」「蹴る」があるわけではないので、たとえば、離婚調停の場などで人に説明しようとすると、
・ ささいなことですぐ怒る
・ 怒ったら長時間説教を続ける
・ 怒ったら口をきいてくれない
とか、そういう風な説明になります。
このような説明というのは、その一つ一つだけとりあげると「日常ある夫婦の諍いの、ちょっとしたこと」「たいしたことがない」ように思われがちです。
なので、昔は特に、
「そんなことでは、離婚原因があるとはいえませんよ?お互い悪いところがあるのでは?」
といった感じで、ここでいう「モラル・ハラスメント」被害者が切々と訴えても、あまり聞いてもらえないこともあったようです。離婚調停の場などでも。
今は、さすがに、このような本も出ているくらいですから、ちゃんと言えば伝わります。
一個一個だけをみると大したことないように見えても、それを総合してみると、毎日の家庭生活において、構造的に、一方が一方を精神的に支配しており、そのせいで他方は大変な苦痛を感じ続けており、耐えられなくなっている
というのが、こういった被害の特徴であり、一方的に苦痛を強いられる意味では身体的DVの場合とも共通する、という例が多々あるようです。
こういう問題を、たとえば、上記のような本にまとめ発表することは、有意義なことです。
つまり、「言っても世の中にわかってもらえない」種類のことではなく、「世の中でも本になるくらいに認知されているパターンである」とわかれば、本当に苦しんでいる人が、自分1人で抱え込まずに、適切な助けを他人に求める第一歩になる、というわけです。
反面として、「モラルハラスメント」であったり、DVであったり、その加害者となる人自身の幸せ、と言う問題があります。もちろん、そんな加害行為を続けていることを許して貰えたら幸せという意味ではありません。
家族に対して害を加えずに生きていけるのが幸せに決まっています。
たとえば、離婚した後、また、違うパートナーと一緒になるとしたら、今度は、その人とは、対等な関係を築いて幸せになれたら、ということです。
心の在り方を、あるべき方向に近づけてゆく、というのですから、加害者のほうが、その後に本当に幸せになるには長い道のりかもしれません。
橋下徹氏を応援しません! [だから,今日より明日(教育)]
でも、応援するのですよ、脱原発では。それを実行してくれるというのなら、そのテーマではもう、熱烈応援します。
私は、○○さんがするから賛成とか、反対とか、そういう考え方はとりたくありません。
○○さんが言うのであれ、××さんが言うのであれ、よいものはよいしダメなものはダメだと言いたい。
このたび応援しません!というのは、
大阪府教育基本条例
のことです。
これはいけないと思います。
いけない理由はたくさんありますが、教育の基本理念を書いた第2条に
(5) 我が国及び郷土の伝統と文化を深く理解し、愛国心及び郷土を愛する心に溢れるとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する人材を育てること
という、「愛国心」という部分のほかに、
(6) グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること
というのまでが入ってきました。
「愛国心」そのものは良い「心」だと思いますが、法律で強制するようなものではない、そんなことをしたら有害だし、本当の愛国心は育たない、という話は、教育基本法改悪反対のテーマの中でたくさん書きました。
今回の主題は次のこと、この条例で出てきた新しい項目、
「国際競争」「に対応できる」「競争力の高い人材」
についてです。
これでは、教育というのも、ずいぶん貧しいものになる、という危惧を覚えるのです。
何でよ?というのは、確かに説明がいると思います。ちょっと長い文になりました。↓
現実問題として、日本も、日本の経済も、「国際競争」に晒されているので、「国際競争」を無視できない、ということは分かります。
はたまた、「競争」というものが進歩をもたらす側面を持つことも認めます。その進歩が、人の暮らしを豊かにし、困っている人を助けることがあることも認めます。
しかし、それでもなお、「国際競争」というものそのものが持つ、恐ろしさ、怖さ、非人間性(むごさ)というものは大きく、かつ、その「競争」そのものによって、勝者も敗者も常に強迫観念に駆られ、心休まるときはなく、しかも、いよいよ、アメリカや巨大資本でさえも、たとえば、リーマンブラザーズが極めて無責任な金融商品を売ったように、すぐに破綻するような「一時しのぎ」をするのでなければやっていけないような、「自転車操業」に近い状態に陥ることもある現代なのに、そのことを全く無視して、「国際競争」を当然として、それに「人」を合わせていこうとする発想法はおかしいとしかいいようがありません。
端的に言って、今までの学校生活でも、学校が楽しくなかったという人の、楽しくなかった理由の大きな1つは、
学校にいたときの強迫観念が嫌
というものではないかと思います。
自分が望んだわけでもないのに、苦手な勉強で、テストの点数を競争させられて、「点数が悪ければ親に叱られる」とか色々の強迫観念、そんなものに日常晒されることが幸せなわけがありません。
強迫観念のもとで、テスト用の「教科書ワード」は覚えたかも知れませんが、かえって、頭の自由な働きを奪われた人も多かったのではないでしょうか。
条例案のいう、「競争力の高い人材」というのは、競争に晒される「強迫観念」について鈍感な人間、とでもいうのでしょうか。
いや、成功体験ばかりの人は、「競争を楽しめる人」をイメージしているのでしょう。
でも、教育は、どの国民(この場合、府民)にも全てなされるものなのですよ。
だれもが競争を楽しめるわけがありません。「弱者に容赦なくたたみかける」のが競争の本質ですから。
例えば、私だったら、数学も英語も得意だったので、「勉強で競争せよ」「テストの点数で競争せよ」と言われても、別に苦はなく、勝ち目もあるので「競争を楽しむ」心境にだってなれたでしょう。
でも、そうではなく、「重量挙げで競争せよ」とか、「『脂っこいものを食べる競争』で競争せよ」とか、私の苦手なことで競争を強いられたら、とても「競争を楽しむ」心境になれません。
もしそんな日常なら、「強迫観念」が頭を支配し、きっとおかしくなってしまうことでしょう。
子どものころなら、それが出来ないことで「人格否定」されたように感じてしまいます。
私は、現実的に考えて、
学校教育で、競争をタブーにすべきだ
とは思いません。
むしろ、
社会にでたらある程度避けられない競争といかに付き合うか
競争のメリットデメリットをわかったうえで、競争によって、自分の人間性を破壊されないようにするためには、どうしたらよいか
というようなテーマについて、人生のヒントを与えるようなことが出来れば、良い教育だと思います。
けれども、「維新の会」の条例案は、全く違う発想であることは明らかです。
「国際競争」時代を生きていることは私も意識しないといけないとは思います。
それと無関係に、お気楽に、マリーアントワネットのように生きていくことは出来ないことは、肝に銘じておくべきでしょう。確かに。
しかし、「国際競争」の下に、弱者が、いや、表面的に「勝ち組」に見える人も、人が、本来したいこと、本来ありたいこと、本来大事にしたい幸せを犠牲にせざるを得なくなるようなことには、できるだけ有効な方法で抵抗していきたい、と思います。
そして、「競争」や目先の経済発展、過剰な便利さよりも、人間本来の幸せを大切にするというスタンスの人が増えれば、巨大なモンスターのようにみえる「国際競争」なるものの恐ろしい面が緩和されてゆくと思います。
日本の教育はそういう方向であらねばならない、と思います。
慎み深く、人を思い遣る、というのが日本人の大切にしてきた美徳であり、美しい心である、そういう日本を愛するというのならば、なおさら、そういう方向にならねばならない、と思います。
私は、○○さんがするから賛成とか、反対とか、そういう考え方はとりたくありません。
○○さんが言うのであれ、××さんが言うのであれ、よいものはよいしダメなものはダメだと言いたい。
このたび応援しません!というのは、
大阪府教育基本条例
のことです。
これはいけないと思います。
いけない理由はたくさんありますが、教育の基本理念を書いた第2条に
(5) 我が国及び郷土の伝統と文化を深く理解し、愛国心及び郷土を愛する心に溢れるとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する人材を育てること
という、「愛国心」という部分のほかに、
(6) グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること
というのまでが入ってきました。
「愛国心」そのものは良い「心」だと思いますが、法律で強制するようなものではない、そんなことをしたら有害だし、本当の愛国心は育たない、という話は、教育基本法改悪反対のテーマの中でたくさん書きました。
今回の主題は次のこと、この条例で出てきた新しい項目、
「国際競争」「に対応できる」「競争力の高い人材」
についてです。
これでは、教育というのも、ずいぶん貧しいものになる、という危惧を覚えるのです。
何でよ?というのは、確かに説明がいると思います。ちょっと長い文になりました。↓
現実問題として、日本も、日本の経済も、「国際競争」に晒されているので、「国際競争」を無視できない、ということは分かります。
はたまた、「競争」というものが進歩をもたらす側面を持つことも認めます。その進歩が、人の暮らしを豊かにし、困っている人を助けることがあることも認めます。
しかし、それでもなお、「国際競争」というものそのものが持つ、恐ろしさ、怖さ、非人間性(むごさ)というものは大きく、かつ、その「競争」そのものによって、勝者も敗者も常に強迫観念に駆られ、心休まるときはなく、しかも、いよいよ、アメリカや巨大資本でさえも、たとえば、リーマンブラザーズが極めて無責任な金融商品を売ったように、すぐに破綻するような「一時しのぎ」をするのでなければやっていけないような、「自転車操業」に近い状態に陥ることもある現代なのに、そのことを全く無視して、「国際競争」を当然として、それに「人」を合わせていこうとする発想法はおかしいとしかいいようがありません。
端的に言って、今までの学校生活でも、学校が楽しくなかったという人の、楽しくなかった理由の大きな1つは、
学校にいたときの強迫観念が嫌
というものではないかと思います。
自分が望んだわけでもないのに、苦手な勉強で、テストの点数を競争させられて、「点数が悪ければ親に叱られる」とか色々の強迫観念、そんなものに日常晒されることが幸せなわけがありません。
強迫観念のもとで、テスト用の「教科書ワード」は覚えたかも知れませんが、かえって、頭の自由な働きを奪われた人も多かったのではないでしょうか。
条例案のいう、「競争力の高い人材」というのは、競争に晒される「強迫観念」について鈍感な人間、とでもいうのでしょうか。
いや、成功体験ばかりの人は、「競争を楽しめる人」をイメージしているのでしょう。
でも、教育は、どの国民(この場合、府民)にも全てなされるものなのですよ。
だれもが競争を楽しめるわけがありません。「弱者に容赦なくたたみかける」のが競争の本質ですから。
例えば、私だったら、数学も英語も得意だったので、「勉強で競争せよ」「テストの点数で競争せよ」と言われても、別に苦はなく、勝ち目もあるので「競争を楽しむ」心境にだってなれたでしょう。
でも、そうではなく、「重量挙げで競争せよ」とか、「『脂っこいものを食べる競争』で競争せよ」とか、私の苦手なことで競争を強いられたら、とても「競争を楽しむ」心境になれません。
もしそんな日常なら、「強迫観念」が頭を支配し、きっとおかしくなってしまうことでしょう。
子どものころなら、それが出来ないことで「人格否定」されたように感じてしまいます。
私は、現実的に考えて、
学校教育で、競争をタブーにすべきだ
とは思いません。
むしろ、
社会にでたらある程度避けられない競争といかに付き合うか
競争のメリットデメリットをわかったうえで、競争によって、自分の人間性を破壊されないようにするためには、どうしたらよいか
というようなテーマについて、人生のヒントを与えるようなことが出来れば、良い教育だと思います。
けれども、「維新の会」の条例案は、全く違う発想であることは明らかです。
「国際競争」時代を生きていることは私も意識しないといけないとは思います。
それと無関係に、お気楽に、マリーアントワネットのように生きていくことは出来ないことは、肝に銘じておくべきでしょう。確かに。
しかし、「国際競争」の下に、弱者が、いや、表面的に「勝ち組」に見える人も、人が、本来したいこと、本来ありたいこと、本来大事にしたい幸せを犠牲にせざるを得なくなるようなことには、できるだけ有効な方法で抵抗していきたい、と思います。
そして、「競争」や目先の経済発展、過剰な便利さよりも、人間本来の幸せを大切にするというスタンスの人が増えれば、巨大なモンスターのようにみえる「国際競争」なるものの恐ろしい面が緩和されてゆくと思います。
日本の教育はそういう方向であらねばならない、と思います。
慎み深く、人を思い遣る、というのが日本人の大切にしてきた美徳であり、美しい心である、そういう日本を愛するというのならば、なおさら、そういう方向にならねばならない、と思います。
「やさしい相続ノート」はじめました [法律案内]
今年度は、ある団体様から、相続法についてのシリーズ講義の依頼を受けました。
それをきっかけに(その講義のための準備をした成果を転用することにして)、「相続」についての簡単解説ホームページ(ブログ形式)を立ち上げました。
少しでも皆様のご参考になれば、ということで紹介します。よろしくお願いします。
http://hmsouzoku.exblog.jp/ やさしい相続ノート~弁護士村上英樹
※ とりあえず、予定分量の5分の1くらいが完成し、アップされています。(相続の承認・放棄に関する部分などはアップされていますが、遺言などについては未完成という状態です。)
今後順次、完成させていく予定です。
※ 「わかりやすく」といいながらも、言葉足らずであったりするところが多々あると思いますが、内容に関しても、できるだけ改訂作業を重ねて、よいものにしていきたいと思っています。
以下、(はじめに)のページを、そのまま載せておきます。
はじめに
弁護士村上英樹です。
弁護士を初めて10年余りになりました。
日々事件に取り組み勉強することが多い仕事です。
さて、今年は、ある団体からの御依頼を受け、「相続法」に関する講義(全5回)を担当することになりました。
その準備のために、大学時代以来、久しぶりに、「相続法」の基本書の全体を通して読む機会に恵まれました。
社会経験のない大学時代に勉強したときと比べ、遺産分割の調停などの経験をした上で、改めて勉強をすると、本を読んだときの感じ方が全く違うことが新鮮でした。
そこで、「相続」について、具体的には、遺産分割とか遺言などについて、平たい、分かりやすい言葉で解説するブログを作ることにしました。
少しずつ、内容を作っていきます。
今回私が読んだ、弘文堂「相続法-第3版」(潮見佳男著)の内容に準拠し、できるだけ私の言葉を交えて、法律知識の全く無い人でも読める解説を心がけよう、と思っています。
どうぞよろしくお願いします。
それをきっかけに(その講義のための準備をした成果を転用することにして)、「相続」についての簡単解説ホームページ(ブログ形式)を立ち上げました。
少しでも皆様のご参考になれば、ということで紹介します。よろしくお願いします。
http://hmsouzoku.exblog.jp/ やさしい相続ノート~弁護士村上英樹
※ とりあえず、予定分量の5分の1くらいが完成し、アップされています。(相続の承認・放棄に関する部分などはアップされていますが、遺言などについては未完成という状態です。)
今後順次、完成させていく予定です。
※ 「わかりやすく」といいながらも、言葉足らずであったりするところが多々あると思いますが、内容に関しても、できるだけ改訂作業を重ねて、よいものにしていきたいと思っています。
以下、(はじめに)のページを、そのまま載せておきます。
はじめに
弁護士村上英樹です。
弁護士を初めて10年余りになりました。
日々事件に取り組み勉強することが多い仕事です。
さて、今年は、ある団体からの御依頼を受け、「相続法」に関する講義(全5回)を担当することになりました。
その準備のために、大学時代以来、久しぶりに、「相続法」の基本書の全体を通して読む機会に恵まれました。
社会経験のない大学時代に勉強したときと比べ、遺産分割の調停などの経験をした上で、改めて勉強をすると、本を読んだときの感じ方が全く違うことが新鮮でした。
そこで、「相続」について、具体的には、遺産分割とか遺言などについて、平たい、分かりやすい言葉で解説するブログを作ることにしました。
少しずつ、内容を作っていきます。
今回私が読んだ、弘文堂「相続法-第3版」(潮見佳男著)の内容に準拠し、できるだけ私の言葉を交えて、法律知識の全く無い人でも読める解説を心がけよう、と思っています。
どうぞよろしくお願いします。
原発事故・損害賠償マニュアル 日弁連編 日本加除出版(株) [くらしと安全(交通事故その他)]
http://www.kajo.co.jp/book/40438000001.html
昨日、注文していたタイトルの本が届きました。
神戸市に事務所がある私のところに、原発事故賠償の相談があるかどうかは分かりませんが、ともかくも、重要な、大変な問題です。
ぱらぱらと読んでいるのですが、内容が濃いようです。
「マニュアル」というタイトルがついていますが、単なる「マニュアル」ではなく、政府の指針をカバーしつつも、それを杓子定規に適用して答えを出すだけではなく、さらにぐっと踏み込んだ考え方まで解説されています。
可能な限り被害の実態に寄り添い、万全の賠償を得られるように役立つように、というスタンスで書かれています。
たとえば、野菜のいわゆる「風評被害」について、次のような問題について。
(引用)
Q77 A県産のホウレン草から暫定基準値を超える放射性物質が検出されたために、A県産の他の野菜(トマトなども)も売れなくなった。トマトからは暫定規制値を超える放射性物質は検出されていないが、損害賠償請求は可能か。
(引用終り)
ここでいわゆる「風評被害」について問題となるわけですが、この本の解説は次の通り、
(引用)
中間指針において指摘されるとおり、いわゆる風評被害という表現は、放射性物質等による危険がないのに消費者や取引先が危険性を心配して商品やサービスの購入・取引を回避する不安心理に起因する損害という意味で使われることもあるが、少なくとも本件事故においては、必ずしも科学的に明確でない放射性物質による汚染の危険を回避するための市場の拒絶反応による損害と考えるべきである。
この場合、風評被害は、ある種の実害という側面を持つものであり、合理性が認められる限り、広く損害賠償の対象として救済されるべきである。
(引用終り)
という考え方から、平均的・一般的な人を基準として、このような事情があれば野菜であれば他の品目についても危険性を懸念し、敬遠したくなるのが無理のないことかどうか、という基準で判断し、
Q77の場合も、買い控え等により被った営業損害、就労不能等に伴う損害、検査費用について賠償請求が可能である
という回答をしています。
「風評被害」という言葉が適切か?についてそもそも問題があるのだけれど、政府の中間指針でもこの言葉が使われているので無視は出来ない。
でも、その被害の本体は「実害」という面をちゃんと持っているのだ、ということを押さえた上での解説がなされています。
執筆者の方がここをきっちり押さえられて記述されていることは、実に行き届いたことだと感じます。
この本が、役に立つことは間違いない。
賠償を行う側(東京電力など)の方々にも是非熟読して頂き、肝心の所をよく分かって頂いた上で、どうか今回ばかりは「支払う側、受け取る側」の利害対立ということにとらわれずに、相手の立場への十分な配慮に基づいて、賠償実務に望んで頂きたい、と思いました。
昨日、注文していたタイトルの本が届きました。
神戸市に事務所がある私のところに、原発事故賠償の相談があるかどうかは分かりませんが、ともかくも、重要な、大変な問題です。
ぱらぱらと読んでいるのですが、内容が濃いようです。
「マニュアル」というタイトルがついていますが、単なる「マニュアル」ではなく、政府の指針をカバーしつつも、それを杓子定規に適用して答えを出すだけではなく、さらにぐっと踏み込んだ考え方まで解説されています。
可能な限り被害の実態に寄り添い、万全の賠償を得られるように役立つように、というスタンスで書かれています。
たとえば、野菜のいわゆる「風評被害」について、次のような問題について。
(引用)
Q77 A県産のホウレン草から暫定基準値を超える放射性物質が検出されたために、A県産の他の野菜(トマトなども)も売れなくなった。トマトからは暫定規制値を超える放射性物質は検出されていないが、損害賠償請求は可能か。
(引用終り)
ここでいわゆる「風評被害」について問題となるわけですが、この本の解説は次の通り、
(引用)
中間指針において指摘されるとおり、いわゆる風評被害という表現は、放射性物質等による危険がないのに消費者や取引先が危険性を心配して商品やサービスの購入・取引を回避する不安心理に起因する損害という意味で使われることもあるが、少なくとも本件事故においては、必ずしも科学的に明確でない放射性物質による汚染の危険を回避するための市場の拒絶反応による損害と考えるべきである。
この場合、風評被害は、ある種の実害という側面を持つものであり、合理性が認められる限り、広く損害賠償の対象として救済されるべきである。
(引用終り)
という考え方から、平均的・一般的な人を基準として、このような事情があれば野菜であれば他の品目についても危険性を懸念し、敬遠したくなるのが無理のないことかどうか、という基準で判断し、
Q77の場合も、買い控え等により被った営業損害、就労不能等に伴う損害、検査費用について賠償請求が可能である
という回答をしています。
「風評被害」という言葉が適切か?についてそもそも問題があるのだけれど、政府の中間指針でもこの言葉が使われているので無視は出来ない。
でも、その被害の本体は「実害」という面をちゃんと持っているのだ、ということを押さえた上での解説がなされています。
執筆者の方がここをきっちり押さえられて記述されていることは、実に行き届いたことだと感じます。
この本が、役に立つことは間違いない。
賠償を行う側(東京電力など)の方々にも是非熟読して頂き、肝心の所をよく分かって頂いた上で、どうか今回ばかりは「支払う側、受け取る側」の利害対立ということにとらわれずに、相手の立場への十分な配慮に基づいて、賠償実務に望んで頂きたい、と思いました。
つぶやくことは簡単ですが [時事ニュースから]
日経ビジネスオンラインから記事を紹介します。
「カンニング成功!」相次ぐ学生の“犯罪自慢”
そのツイート、100人に転送されても大丈夫?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110909/222535/?P=1
私も、問題だなあと思い、また、なんでこうなるのかなーと思っている問題について、上手くまとまっている記事です。
例えば、「カンニング成功」とか「俺は(未成年だけど)飲酒しているなう」などいった「つぶやき」とか、mixiなどのソーシャルネットワークへの投稿など、それが後でニュースになるような大問題になってアワワ…という事態、たくさん起こっています。
それで、この記事でも、「ネットワークリテラシーの教育も」等と指摘されています。
そういう、ネット社会での生き方講座みたいなのも必要なのかなぁ、と思いつつも。
ただ、私の発想としては、
・ 時代が進歩→ネットが進化→だから新しい種類の教育を
のような、物事をどんどん複雑にしていく発想よりも、もっと原始的でシンプルな発想で、
・ ツイッターの呟きって、「俺は飲酒しているなう」ということを紙に書いて、大量に配ったり、みんなが見える場所に掲示しているのと同じことでしょ
という、誰でも少し考えれば分かることを、出来るだけ多くの人がいつでも「少し考えられるようにする」ようにすることが大切だと思うのです。
つまり、突き詰めて言えば、
・ 文明の発達によって生じる錯覚を覚ます(この場合ですと、ツイッターは「ぽちっとな」という簡単な操作でできてしまうがために、「ぽちっとな」側では情報を「撒いている」実感がない、でも「自分の(未発覚の違法行為を含む)情報を他人が見られる状態にある」ことそのものは恐ろしいことでしょ、というような)
ということではないか、と思ったりします。
結局「ネットリテラシー教育」なるものも、とどのつまり、このような内容になるのかも知れませんが。
「文明による錯覚を覚まそう」発想に立てば、「便利になるはずの文明や技術の発達のせいで、実際は、どんどん暮らしが複雑で不便なものになる」という訳の分からない悪循環に陥ってしまうのを極力防げるのでは、と思ったりもします。
水道の蛇口を捻って水が出るのも、当たり前じゃないよ、全然
といったこととか、大災害が生じれば直面せざるを得ないのだけれど、そうでなくても、本来当たり前のことを一々噛みしめて暮らした方が良いのでは、という風に思います。
というのが、ツイッターも登録し、フェイスブックも登録したけれど、いまいちついていけていない(技術的に?気分的に?)私の感想でした。
「カンニング成功!」相次ぐ学生の“犯罪自慢”
そのツイート、100人に転送されても大丈夫?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110909/222535/?P=1
私も、問題だなあと思い、また、なんでこうなるのかなーと思っている問題について、上手くまとまっている記事です。
例えば、「カンニング成功」とか「俺は(未成年だけど)飲酒しているなう」などいった「つぶやき」とか、mixiなどのソーシャルネットワークへの投稿など、それが後でニュースになるような大問題になってアワワ…という事態、たくさん起こっています。
それで、この記事でも、「ネットワークリテラシーの教育も」等と指摘されています。
そういう、ネット社会での生き方講座みたいなのも必要なのかなぁ、と思いつつも。
ただ、私の発想としては、
・ 時代が進歩→ネットが進化→だから新しい種類の教育を
のような、物事をどんどん複雑にしていく発想よりも、もっと原始的でシンプルな発想で、
・ ツイッターの呟きって、「俺は飲酒しているなう」ということを紙に書いて、大量に配ったり、みんなが見える場所に掲示しているのと同じことでしょ
という、誰でも少し考えれば分かることを、出来るだけ多くの人がいつでも「少し考えられるようにする」ようにすることが大切だと思うのです。
つまり、突き詰めて言えば、
・ 文明の発達によって生じる錯覚を覚ます(この場合ですと、ツイッターは「ぽちっとな」という簡単な操作でできてしまうがために、「ぽちっとな」側では情報を「撒いている」実感がない、でも「自分の(未発覚の違法行為を含む)情報を他人が見られる状態にある」ことそのものは恐ろしいことでしょ、というような)
ということではないか、と思ったりします。
結局「ネットリテラシー教育」なるものも、とどのつまり、このような内容になるのかも知れませんが。
「文明による錯覚を覚まそう」発想に立てば、「便利になるはずの文明や技術の発達のせいで、実際は、どんどん暮らしが複雑で不便なものになる」という訳の分からない悪循環に陥ってしまうのを極力防げるのでは、と思ったりもします。
水道の蛇口を捻って水が出るのも、当たり前じゃないよ、全然
といったこととか、大災害が生じれば直面せざるを得ないのだけれど、そうでなくても、本来当たり前のことを一々噛みしめて暮らした方が良いのでは、という風に思います。
というのが、ツイッターも登録し、フェイスブックも登録したけれど、いまいちついていけていない(技術的に?気分的に?)私の感想でした。
高次脳機能障害に関する判決(判例時報2118号70頁) [くらしと安全(交通事故その他)]
交通事故などの外傷で、頭部を強打した場合に、高次脳機能障害という後遺症が残ることがあります。
一見、どういう後遺症があるのか分かりにくいのですが、記憶力や集中力や、物事を要領よくやる力や、人間関係を円滑に保つ力などが、事故前と比べて格段に落ちてしまい、生活の色んな場面で苦労するという、大変な問題です。
この後遺症については、以前、高次脳機能障害のドキュメンタリー番組(私がちょこっと出ました)に関連して書いた日記 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2007-05-09 も参考にしていただければと思います。
私が担当した事件で、新しく判例雑誌に掲載されたものがあるので紹介します。
判例
神戸地裁尼崎支部平成21年(ワ)1128号 平成23年5月13日判決
事案の内容
Xは、Y1の運転する軽貨物車の助手席に同乗中、Y2の運転する普通乗用自動車と衝突し、頭部外傷、頭蓋骨骨折等の傷害を負った。
Xは、A病院等に入通院して治療を受けたが、①障害等級5級2号該当の高次脳機能障害、及び、②12級13号該当の醜状障害(外見の障害)を残し、併合4級の認定を受けた。
Xは、事故当時は無職であったが就職に向けて資格試験を受験する等していたが、事故後は、後遺症の影響から、集中力や記憶力の低下や、情緒不安定、計画的行動遂行能力の低下等のため、また、意欲全般の低下のため、就職活動等が一切できなくなった。
判決の概要
後遺症による労働能力喪失率につき85%とする。
村上による解説
本件のポイントは、後遺症によって、Xさんがどれくらい労働能力を失ったと認められるか(「労働能力喪失率」は何%か)という点です。
上に書いた、後遺症の等級というのは、「自賠責保険」の基準であり、重い方から1~14級まであります。
Xさんの場合、2つの後遺症があって、「併合4級」ということです。4級の場合、一般的には「労働能力喪失率」は92%とされます。
ただし、Xさんの後遺症の一つは、12級の醜状障害(外見の障害)であり、Xさんは男子であることもあり(このあたり、男女で区別するのはどうか、という異論もありますが)、一般的には、外見に障害があったからと言って(アイドルとかホストであるとか特殊な事情がない限り)労働能力には直接影響しないとされることが多いです。
そうすると、このXさんの場合、もし、労働能力に直接影響するのが5級の高次脳機能障害の部分だけだと考えると、5級の「労働能力喪失率」は一般的に79%とされています。
しかし、それでは、事故後、全く就職活動や就職に向けての勉強等さえ出来なくなってしまった状態のXさんが、100-79=21(%)の労働能力を有している(つまり、それは、21%分は働いて稼ぎを得ることが出来るという意味です。その部分は、賠償を受けられないことになる。)とされることになるが、それでよいのか?
そこで、本件では、裁判官は、自賠責保険では、○級なら○○パーセント、という基準があるが、その基準によるだけではなく、実際のXさんの状態を判断して「85%」と認定したというわけです。
これでも、実際働く見込みが立たない人に、「あなたは15%は働ける」ということにして、損害賠償額を減らしてよいのか、という点は残るのですが、いわゆる「モノサシ通り」の79%というよりは、Xさんが実際に苦労している状況を想像して汲み取って下さった判決である、と思います。
この「高次脳機能障害」というのは、目に見えにくい後遺症であることは間違いなく、本人さんが苦労されている状況というのは、まさに、日常生活の一つ一つに現われてきます。
ですので、裁判での証明というのも、「日常生活の一つ一つ」そのものを裁判官にわかってもらえるように、色々工夫してやらなければなりません(家族の協力も相当お願いしました)。
この後遺症の方の置かれている状況について、私が、大変参考になると思っている資料は、
東京都 高次脳機能障害者実態調査 (平成20年)
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2008/05/60i5f300.htm
です。
これによれば、高次脳機能障害を有する方が、就労の面で相当苦労されていることが分かります。
高次脳機能障害の度合いが比較的軽度な人でも、実際に就職し、その職場で仕事が続く状態にはなかなかならないことがデータで現われています。
「発症時に就労していた者は62.6%で、現在も就労している者は10.1%であった。また、現在就労していない者のうち、50.3%が就労を希望していた。 」
実際には、9割の人は、就労が出来ていないというのです。
これは、社会の体制という問題もあります。
本来、裁判でたくさん賠償してもらえるよりも、高次脳機能障害を有していてもその人のペースで働ける場があるほうがよいに違いないので、そういう社会に一歩ずつでも近づいてゆくことが望まれます。
裁判における活動の一つ一つは、あらゆる状況にある人に対して優しい社会へ近づくためのきっかけの一つを積み重ねているということだと思います。
それにしても、本当に「一歩一歩」です。ときに「半歩」くらいでも、「三歩進んで二歩下がる」ことがあっても、どれもプラスに捉え、それはそれでよしとして、前へ進むしかない、という思いを強くします。
一見、どういう後遺症があるのか分かりにくいのですが、記憶力や集中力や、物事を要領よくやる力や、人間関係を円滑に保つ力などが、事故前と比べて格段に落ちてしまい、生活の色んな場面で苦労するという、大変な問題です。
この後遺症については、以前、高次脳機能障害のドキュメンタリー番組(私がちょこっと出ました)に関連して書いた日記 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2007-05-09 も参考にしていただければと思います。
私が担当した事件で、新しく判例雑誌に掲載されたものがあるので紹介します。
判例
神戸地裁尼崎支部平成21年(ワ)1128号 平成23年5月13日判決
事案の内容
Xは、Y1の運転する軽貨物車の助手席に同乗中、Y2の運転する普通乗用自動車と衝突し、頭部外傷、頭蓋骨骨折等の傷害を負った。
Xは、A病院等に入通院して治療を受けたが、①障害等級5級2号該当の高次脳機能障害、及び、②12級13号該当の醜状障害(外見の障害)を残し、併合4級の認定を受けた。
Xは、事故当時は無職であったが就職に向けて資格試験を受験する等していたが、事故後は、後遺症の影響から、集中力や記憶力の低下や、情緒不安定、計画的行動遂行能力の低下等のため、また、意欲全般の低下のため、就職活動等が一切できなくなった。
判決の概要
後遺症による労働能力喪失率につき85%とする。
村上による解説
本件のポイントは、後遺症によって、Xさんがどれくらい労働能力を失ったと認められるか(「労働能力喪失率」は何%か)という点です。
上に書いた、後遺症の等級というのは、「自賠責保険」の基準であり、重い方から1~14級まであります。
Xさんの場合、2つの後遺症があって、「併合4級」ということです。4級の場合、一般的には「労働能力喪失率」は92%とされます。
ただし、Xさんの後遺症の一つは、12級の醜状障害(外見の障害)であり、Xさんは男子であることもあり(このあたり、男女で区別するのはどうか、という異論もありますが)、一般的には、外見に障害があったからと言って(アイドルとかホストであるとか特殊な事情がない限り)労働能力には直接影響しないとされることが多いです。
そうすると、このXさんの場合、もし、労働能力に直接影響するのが5級の高次脳機能障害の部分だけだと考えると、5級の「労働能力喪失率」は一般的に79%とされています。
しかし、それでは、事故後、全く就職活動や就職に向けての勉強等さえ出来なくなってしまった状態のXさんが、100-79=21(%)の労働能力を有している(つまり、それは、21%分は働いて稼ぎを得ることが出来るという意味です。その部分は、賠償を受けられないことになる。)とされることになるが、それでよいのか?
そこで、本件では、裁判官は、自賠責保険では、○級なら○○パーセント、という基準があるが、その基準によるだけではなく、実際のXさんの状態を判断して「85%」と認定したというわけです。
これでも、実際働く見込みが立たない人に、「あなたは15%は働ける」ということにして、損害賠償額を減らしてよいのか、という点は残るのですが、いわゆる「モノサシ通り」の79%というよりは、Xさんが実際に苦労している状況を想像して汲み取って下さった判決である、と思います。
この「高次脳機能障害」というのは、目に見えにくい後遺症であることは間違いなく、本人さんが苦労されている状況というのは、まさに、日常生活の一つ一つに現われてきます。
ですので、裁判での証明というのも、「日常生活の一つ一つ」そのものを裁判官にわかってもらえるように、色々工夫してやらなければなりません(家族の協力も相当お願いしました)。
この後遺症の方の置かれている状況について、私が、大変参考になると思っている資料は、
東京都 高次脳機能障害者実態調査 (平成20年)
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2008/05/60i5f300.htm
です。
これによれば、高次脳機能障害を有する方が、就労の面で相当苦労されていることが分かります。
高次脳機能障害の度合いが比較的軽度な人でも、実際に就職し、その職場で仕事が続く状態にはなかなかならないことがデータで現われています。
「発症時に就労していた者は62.6%で、現在も就労している者は10.1%であった。また、現在就労していない者のうち、50.3%が就労を希望していた。 」
実際には、9割の人は、就労が出来ていないというのです。
これは、社会の体制という問題もあります。
本来、裁判でたくさん賠償してもらえるよりも、高次脳機能障害を有していてもその人のペースで働ける場があるほうがよいに違いないので、そういう社会に一歩ずつでも近づいてゆくことが望まれます。
裁判における活動の一つ一つは、あらゆる状況にある人に対して優しい社会へ近づくためのきっかけの一つを積み重ねているということだと思います。
それにしても、本当に「一歩一歩」です。ときに「半歩」くらいでも、「三歩進んで二歩下がる」ことがあっても、どれもプラスに捉え、それはそれでよしとして、前へ進むしかない、という思いを強くします。
色んな人の、色んな夏にエールを~夏の甲子園終わる~ [息抜き!?]
夏の高校野球も終わると、秋が近く、夏もそろそろ終りという感じがしますね。
午前中に終わった高校野球の決勝戦というのも新鮮でした。
優勝した日大三高の強力打線、見事でした。あんなに破壊力抜群の強さを身につける、その過程はどんなものだったのでしょう。
光星学園の準優勝、地元兵庫の東洋大姫路の活躍や、八幡商業が帝京相手に土壇場で満塁ホームランで逆転した試合などなど、実に見どころ満載でした。(もっとも、最近は、負けた側に注目がいくようになって、例えば、帝京の投手などは、それはそれは今回の経験が貴重な経験になって更に力を伸ばすことになるんじゃないか、そうなって欲しい、などなど。)
(お盆の間などは特に)川上ジュリアさんの歌を日に何回も聴いたので、耳にこびりついて、今も頭をまわっています。
甲子園に出た球児たちは、まさに、表舞台、今一番陽に当たる舞台に立っていた、そういう夏だったわけです。
が、色んな人の色んな夏があります。
甲子園の球児のような表舞台ではないのですが、たとえば、野球をするにしても、いつか甲子園に出ることを夢見て、一生懸命に練習に励んでいる選手たちが、その何千倍?もいるわけです。
また、どうしても、日本では野球が花形ですが、他のスポーツ、文化、芸能、色んな分野で、夏休みにしかできない取り組み、練習、修行をしている人がたくさんいるわけです。
受験生も夏休みが大きな勝負所。毎日、何時間も勉強するのは大変でしょう。
自分のやりたいことに向かって、力をつける、その絶好の機会が、夏休み期間ですね。
そういう夏を過ごせる人は幸せです。
でも、人それぞれ色んな状況があり、生活基盤が失われたままだったり、病気や怪我と闘っていたり、そういう夏を過ごしている人もいることでしょう。
それでも、明日への希望、自分の思い描く「夏」が過ごせる日への希望に向かって、一歩でも進んでいたら、と思います。
私が弁護士業をする意義というのを思うとき、人の憂いを出来るだけ取り除き、又は緩和して、たとえば高校球児たちのように、それぞれに「貴重な夏」を人々が心置きなく過ごせるようにするサポート、ということなのだろうと思います。
というのは、正直言うと、私は、甲子園の派手さ、球児たちの陽の当たりっぷりがうらやましいのです。うらやましくて仕方ないのです(未だに)。
そして、それに比べ、私の日々していることは、(大部分の人が同じですが、)例えば机に座っての仕事であったりするわけで、もちろん地味なのです。
正直、昔は、その地味さに耐えるのが限界で、いつもギリギリ耐えているという感覚でした。
そんな性格で仕事が勤まるのか、と思いました。
が、弁護士になるときに、「例えば人がお祭りで笑っていられるような条件を整える」ことに喜びを見出せば、やっていけるだろう、と考えたのでした。
その原点をこれからも。でやっていきたいと改めて思いました。
午前中に終わった高校野球の決勝戦というのも新鮮でした。
優勝した日大三高の強力打線、見事でした。あんなに破壊力抜群の強さを身につける、その過程はどんなものだったのでしょう。
光星学園の準優勝、地元兵庫の東洋大姫路の活躍や、八幡商業が帝京相手に土壇場で満塁ホームランで逆転した試合などなど、実に見どころ満載でした。(もっとも、最近は、負けた側に注目がいくようになって、例えば、帝京の投手などは、それはそれは今回の経験が貴重な経験になって更に力を伸ばすことになるんじゃないか、そうなって欲しい、などなど。)
(お盆の間などは特に)川上ジュリアさんの歌を日に何回も聴いたので、耳にこびりついて、今も頭をまわっています。
甲子園に出た球児たちは、まさに、表舞台、今一番陽に当たる舞台に立っていた、そういう夏だったわけです。
が、色んな人の色んな夏があります。
甲子園の球児のような表舞台ではないのですが、たとえば、野球をするにしても、いつか甲子園に出ることを夢見て、一生懸命に練習に励んでいる選手たちが、その何千倍?もいるわけです。
また、どうしても、日本では野球が花形ですが、他のスポーツ、文化、芸能、色んな分野で、夏休みにしかできない取り組み、練習、修行をしている人がたくさんいるわけです。
受験生も夏休みが大きな勝負所。毎日、何時間も勉強するのは大変でしょう。
自分のやりたいことに向かって、力をつける、その絶好の機会が、夏休み期間ですね。
そういう夏を過ごせる人は幸せです。
でも、人それぞれ色んな状況があり、生活基盤が失われたままだったり、病気や怪我と闘っていたり、そういう夏を過ごしている人もいることでしょう。
それでも、明日への希望、自分の思い描く「夏」が過ごせる日への希望に向かって、一歩でも進んでいたら、と思います。
私が弁護士業をする意義というのを思うとき、人の憂いを出来るだけ取り除き、又は緩和して、たとえば高校球児たちのように、それぞれに「貴重な夏」を人々が心置きなく過ごせるようにするサポート、ということなのだろうと思います。
というのは、正直言うと、私は、甲子園の派手さ、球児たちの陽の当たりっぷりがうらやましいのです。うらやましくて仕方ないのです(未だに)。
そして、それに比べ、私の日々していることは、(大部分の人が同じですが、)例えば机に座っての仕事であったりするわけで、もちろん地味なのです。
正直、昔は、その地味さに耐えるのが限界で、いつもギリギリ耐えているという感覚でした。
そんな性格で仕事が勤まるのか、と思いました。
が、弁護士になるときに、「例えば人がお祭りで笑っていられるような条件を整える」ことに喜びを見出せば、やっていけるだろう、と考えたのでした。
その原点をこれからも。でやっていきたいと改めて思いました。
「阪急電車」読みました。和んだ。 [読書するなり!]
今ごろですが、やっと「阪急電車」を読みました。
私は、阪急電車大好きで、毎日阪急で通勤しており、梅田~三宮間の移動でも、JR、阪神、阪急と3つ選択肢がありますが、1人のときは必ず阪急に乗ります。
阪急のまったりとした空気が良いのです。
中学生のときは、神戸の高校に「阪急電車」で通学するため(そして、阪急電車内で出会って知り合うであろう丸顔で可憐な女子高生と恋愛をするため。但し、現実には妄想で終わる。)に、受験勉強に励みました。
社会人になるとき、東京で仕事するか、神戸で仕事をするか考えたのですが、やっぱり、「阪急電車」に代表される神戸の空気を思い出すと、神戸で仕事し神戸で生活したいと思いました。
小説の舞台となる「阪急今津線」は、塾通いの中3のとき、高校通学の3年間とずっと毎日乗っていた路線です。
私にとってこの小説のようなドラマは殆どなく、ただひたすら「日常」の路線でしたが、この小説では、私にとっての「ただの日常」の路線が、ドラマのステージになっており、何とも楽しい気分にしてくれました。
出てくる登場人物がどれもこれも、阪急文化圏らしい、いい感じで、和みました。
やっぱり、この街で暮らしていて良かった。幸せだ、と感じました。(って、住まば都、なんで、ただの地元贔屓なのですが。)
今後も、この街の笑顔を増やすことに繋がる毎日を送りたいと思いました。









