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民法改正されたら~法定利率は3%からの変動制 [法律案内]

 近い将来、民法は全面的に改正されることになりそうです。

 既に平成27年に、法制審議会で改正の要綱案が決定されています。
 http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi04900244.html

 以前、私の日記で、法定金利が5%という破格の高率であることについて記事を書きました。
「金利年5%!!~民事法定利率の話」
 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-07-06
 特に、交通事故の死亡・後遺障害事案について、将来の逸失利益(その人が事故に遭わなければ得られたであろう一生の収入)の計算で、法定金利5%が被害者に不利に働いている、ということを書きました。

 金利5%というのは今の経済情勢(長く続く超低金利、また、かつてのような経済が急成長する状況は考えられない)ことからして、余りに実情からかけ離れています。
 また、それを前提に利息請求することも、また、死亡事故などで逸失利益の計算に「中間利息控除」として5%を使えば(5%分の金利を「天引き」して賠償額を決めると)被害者が大きな不利を被ることなどから、不都合があります。
 
 このように5%は実情に合わないという共通認識から、民法改正では、

1 まず法定金利(契約で金利を決めなかった場合の貸金などの金利)を初期設定として3%とする。

2 その後、3年ごとに、過去5年分のデータ(正確に言えば、6年前~2年前の短期貸付の平均利率)をもとに、1%単位で見直しをする。

という変動制をとる方針が決まっています。
 ただし、変動制について、細かい説明は省きますが、相当大きな実勢金利の変化がない限りなかなか3%は動かない仕組みになっています。
 なので、民法改正後、当分は法定金利3%になる可能性が高いといえます。

 また、民法改正要綱では、交通事故の死亡・後遺障害事案での逸失利益の計算(中間利息控除)でも、上記の通り定まる「法定利率」を使うと定められています。(現在の民法は、中間利息控除について「法定利率」でしなければならない、とは書いていません。最高裁判決は「法定利率で行う」としています。)

 ですので、現在の法定利率5%で「中間利息控除」をして逸失利益(賠償金の大きな部分)を決めるよりも、3%のほうが被害者にとっては有利になります。
 「中間利息控除」として減らされる金額が少なくてすむからです。
 それでも、年利3%でお金を現実に運用することは出来ないので、「中間利息控除」が被害者に不利に働くという点が解消されるわけではありませんが。

 なお、法定利率はあくまで、契約で金利を決めなかった場合の話です。

 ですので、例えば「AさんがBさんに対して金100万円を貸した」場合に、

1 契約書に金利が明記してある(たとえば、10%、1%、利息なし、など)場合
   →契約書に書かれた金利になります。

2 金利の約束がない場合(決めなかった場合)
   →現在は               5%
    民法改正されたら       当分は3%

となるということです。

 民法改正は全面改正になりますので、この他にも、色々変わります。
 民法というのは、取引上の基本ルールを定めた法律ですので、改正は私たちの暮らしに影響することがあります。

 他の変更点についても、折に触れてご紹介していこうと思います。

神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹








 

『天然パーマでいじめられ「縮毛矯正」した娘に学校が「戻せ!」、そんな対応はアリ?』 [法律案内]

 弁護士ドットコムの記事『天然パーマでいじめられ「縮毛矯正」した娘に学校が「戻せ!」、そんな対応はアリ?』にコメントしています。
 興味のある方はどうぞ↓

https://www.bengo4.com/shohishahigai/n_4772/
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160616-00004772-bengocom-soci

 限られた字数の記事の中なので、どうしても言葉足らずになってしまっていますが、奇抜な格好をしよう、というのではなく普通に学校に行くためにストレートパーマを当てる、ということならば、学校も柔軟に考えてあげればいいのにな、というところです。

 それでも、私が高校生だったころ(20数年ほど前)と比べれば、私の身の回りで見る限りは、今の高校生の方のファッションは「上品」になったと思います。

 茶髪、金髪への染毛の人、特に極端に明るい色の人などの割合は激減している。

 パーマも減った?特に、ドレッドとか、「とがった」感じの髪型は減った。

 でも、多くの人は「さりげなく」おしゃれ。黒髪、短髪でもおしゃれ。

 今の子たちは格好いいな、と思いつつ、「一つ上の世代」としては、中高生なのにまとまり良すぎでは?もうちょっと「はみ出し」てみてもいいのでは?と思ったり、奇妙な種類の「老婆心」が湧いてくる今日この頃です。
 
 各学校の校則の意義は否定しませんし、ルールを守ることも大切だと思います。
 でも、(弁護士ドットコムの事例は全然違うけれども)たとえ「奇抜な格好をしてみたい」ということであったとしても、そういう魂の自由さそのものはかけがえのないものです。その子の色んな力を伸ばす原動力です。
 個々の生徒の内から湧く力、魂の自由さをできるだけ損ねず、かつ、ルールのある社会で生きていくことも学んでいけるようにする。
 こういうのが学校の役割、先生の役割だと思います。想像すると、色々大変だろうなあ、体力・気力が要るだろうなあ、と思います。頭が下がる思いです。

       神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹
 
  


最高裁判決~「花押」では遺言に必要な「押印」と認められない [法律案内]

 最高裁は、平成28年6月3日の判決で、「花押を書くことによって、自筆証書遺言の方式としての『押印』の要件を満たしたとはいえない」という判断を下しました。

 花押は「かおう」と読みます。
 私もよく知りませんでしたが、要するに、漢字を崩した手書きのサインであるとのことです。
 ネットで検索すると、戦国武将や歴代首相のものもあって、それはそれで格好いいもののようです。

 ところで、遺言のうち、公正証書で作成するものではなく、自分で書く自筆証書遺言については、民法で方式が厳格に決まっていて、方式に従っていないものについては効力がありません。
 
 民法968条1項には

 自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない

と定められています。
 この「印を押」す、というのが、「花押を書く」でもいいか?という問題です。

 最高裁は、ダメだ、という判断を下しています。
 
 ここで、この最高裁の判断を題材に、法律問題を考えるときに役に立つ考え方の一つを紹介してみたいと思います。

 それが、

「形式」面と「実質」面を分けて考える


ということです。
 これは、法律問題に限らず、政治の問題や人々の間の利害調整や色んな問題を考えるときの一つの視点です。

 法律問題で言えば、

「形式」 法律の条文や、条文に書かれた文言(もんごん)、手続が正しいか、など
「実質」 法律の目的、趣旨(「こころ」のようなもの)、価値判断(「何を大切にするか」)など

というイメージです。

 それでは、今回の最高裁判決の一部を下に引用します。

(引用開始)
花押を書くことは,印章による押印とは異なるから,民法968条1項の押印の要件を満たすものであると直ちにいうことはできない。
そして,民法968条1項が,自筆証書遺言の方式として,遺言の全文,日付及び氏名の自書のほかに,押印をも要するとした趣旨は,遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに,重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ(最高裁昭和62年(オ)第1137号平成元年2月16日第一小法廷判決・民集43巻2号45頁参照),我が国において,印章による押印に代えて花押を書くことによって文書を完成させるという慣行ないし法意識が存するものとは認め難い。
以上によれば,花押を書くことは,印章による押印と同視することはできず,民法968条1項の押印の要件を満たさないというべきである。
                                (引用終わり)

 この引用部分を題材に、「形式」「実質」を分析してみます。

 まず、「全部形式論じゃん!」という意見を持つ人もいると思います。
 もちろん遺言の方式の話ですから、基本的に「形式論」の要素があります。
 ただ、その中にも、「形式」面にスポットを当てた部分と、「実質」面にスポットを当てた部分があり、これを分けて読めれば、判決文の読み方がグッと違ってきます。

1 まず、この部分は「形式」面の検討です。

「花押を書くことは,印章による押印とは異なるから,民法968条1項の押印の要件を満たすものであると直ちにいうことはできない。」

 「形式」において○か×か。
 少しわかりにくいですが、「『直ちに』いうことはできない」は△~×という感じです。
 「花押を書く」というのを、「押印」と解釈するのは、絶対にない解釈とは言えないが、普通にそのように解釈されるものでもなかろう、というくらいの判断です。

2 で、後の部分は「実質」面の検討になります。

「そして,民法968条1項が,自筆証書遺言の方式として,遺言の全文,日付及び氏名の自書のほかに,押印をも要するとした趣旨は,遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに,重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ(最高裁昭和62年(オ)第1137号平成元年2月16日第一小法廷判決・民集43巻2号45頁参照),我が国において,印章による押印に代えて花押を書くことによって文書を完成させるという慣行ないし法意識が存するものとは認め難い。」

 ここは、なぜ、自筆証書遺言に「押印」が必要か?を論じています。
 「押印」を必要とした法の趣旨「こころ」です。
  
「重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させる」というのが日本の慣行だ、だから自筆証書遺言には「押印」が必要だと民法が定めているのだ、ということです。
 民法は、重要文書は「ハンコ押して完成」という日本の慣行を重視している、ということです。

 ですが、日本で「花押を書くことによって文書を完成させるという慣行」があるとは認め難い、から、民法968条1項の趣旨(こころ)から考えてもやっぱりダメ、という判断です。
 「花押」というサインをして完成、というのは、ハンコと違って、日本での一般的な慣行とは言えない、という判断です。
 判決文には書いてありませんが、そもそも「花押」を知らない人も多いわけで、日本全体で一般に通用しているとまで言えないし…という感じでしょう。

 以上の通りで、「形式」面でみた場合は△~×という感じで、「実質」面でみると×、結局、花押を書くことでは自筆証書遺言に必要な「押印」とは認められない、という判決になっています。

 上にも書きましたが、

「形式」面、「実質」面を一旦わけて、両方考えてみる

というのは、物事を考える上で役に立つ見方なので、法学部生の皆さんはもちろん、そういう思考方法に馴染みのない方は少し意識してみられると、ニュースを見るのでも、日常の仕事でも新しい発見があると思います。

 なお、世の中の進歩や変化の中で、難しい、微妙な問題になることの多くは、例えば、

「実質」面で考えると ○ 

だが、

「形式」面で考えると ×

というように、「実質」からのアプローチと「形式」からのアプローチで結論が反対方向に行きそうな場合です。

例えば、試験で持ち込み許可物件として

「ボールペン、鉛筆、消しゴムに限る」

とあったとして、では

「シャープペンシルはOKか?」

というような問題です。

 「形式」的には「×」なのでルールとしてはアウトなのかも知れませんが、意味から考えて、シャープペンシルを禁止する理由は乏しいかも知れません。
 なので、この場合は、申出したらOKになるかもしれないし、今後ルール変更になるかも分かりません。
 制度とか法律が世の中に追いついていない、というときに、こういう「形式」と「実質」のずれが起こり易いものです。

 さて、今回の最高裁判決では、「形式」と「実質」との両方を検討した結果、「花押を書く」では自筆証書遺言に必要な「押印」にならない、ということになったわけです。

 なお、自筆証書遺言については過去の最高裁判決で、「指印」はOKとされています。こちらは「花押を書く」のと違って、「押印」と認められています。判断の基準は今回の判決と同じことが書かれている箇所がありますので、法学部生の方などは参照されておかれると良いと思います。

 あと、実際に遺言をすることを考えられる方は、次の点をご注意願います。
 よく言われることですが、遺言をする場合、自筆証書の作成は方式が整っていないと無効になる恐れがありますから、一定の遺産があって確実に遺言通りになるようにしたい場合は、公正証書遺言にされることをお勧めします。

                       神戸シーサイド法律事務所
                             弁護士 村上英樹





 



調停委員とけんかしてはダメ~調停を冷静に進めるために2~ [法律案内]

 私のブログのアクセス数で最もアクセスの多い記事は、
「調停委員が相手の肩ばかり持つ!?」~調停を冷静に進めるために~                     http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15
です。
 
息抜き記事である、「私の灘中受験記」http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30
を上回っています。
 
 弁護士ブログとしては、実にうれしい傾向です。

 そこで、今回は、調停に関する記事の続編を書いてみます。

 調停というのは、

家庭裁判所の案件  遺産分割、離婚など

簡易裁判所の案件   民事(貸金、家の賃貸、交通事故その他色々)

です。私の扱う件数で言えば、調停事件は家裁のものが多いと思います。
 
 今回はタイトル通りで、調停を行う場合、特に弁護士をつけず本人で行う場合に気をつけることです。
 本当に気をつけなければなりません。

 前の記事でも書いたとおり、調停はその仕組み上、「調停委員が相手の肩ばかり持つ」ように見えるものなのです。
 仮に、調停委員が、両当事者のどっち寄りでもなく、全くのど真ん中だったとしても、当事者にとって不利な事実を指摘して譲歩するように言ってくるものなので、当事者からすれば「相手の肩ばかり持つ」ように思えるものです。

 さらにいえば、「全くのど真ん中」というのは珍しいです。
 たとえば、ここに1枚の紙があって、真っ二つに破って下さい、と言われたとしても、どちらか一方が多少は大きくなるように、調停委員が「公平」「どちらにも偏らず」と努めても「全くのど真ん中」にはならず、多少は「どちらか寄り」になってしまうことはあります。

 そこで特に、どちらかいえば「調停委員の雰囲気が自分にとって良くない」と感じる側が注意しなければならないことです。
 調停委員の言うことについて納得できないので、ついつい、カッとなって調停委員に食ってかかってしまったり、調停委員を非難したりしてしまうことがあります。
 
 もちろん、自分の意見を主張することは良いのです。紛争を解決する調停ですから、自分の主張をちゃんと言わなければはじまりません。
 ですが、「するべき主張をする」のと、してはいけない「攻撃」「非難」とを分けないと得になりません。
 
 例を挙げます。例えば、遺産分割の調停だったとしましょう。

 「するべき主張をする」 
 本題である遺産分割の内容に関係することを主張することは、ちゃんとすべきです。
・ 亡くなったお父さんには○○の財産があった。
・ 遺産のうち、○○市にある不動産の評価額は○○円になる。
等々のことです。

 してはいけない「攻撃」「非難」 
 本題を外れて、調停委員に対して
・ 「なぜあなたは相手の肩ばかり持つのか」
・ 「あなたはちゃんと記録を読んでいるのか」
・ 「あなたは前は○○と言ったのに、話が違うじゃないか」
などなどです。
 
 なぜいけないかというと、簡単に言えば、
「戦う相手を間違っている」
からです。

 サッカーなどのスポーツにたとえて言うならば、相手選手と戦わず、レフェリー(審判)と戦うようなものです。

 調停委員は、裁判官とともに、調停の運営をする側です。
 いわば、試合のレフェリー(審判)に近い立場、あるいは、運営者の立場です。

 自分にとって十分な働きではない、と仮に感じていたとしても「自分と相手の紛争を解決するために協力してもらわなければならない存在」であることに違いないのです。

 調停委員はその立場上、あなたの完全な味方になる、ということはあり得ません。
 が、しかし、紛争を解決するための「協力者」にはなってもらえる存在なのです。
 「協力者」となってもらいたい人を攻撃、非難してしまっては、損を重ねることになってしまいかねません。

 調停委員の事件への取り組み方に不満がある場合でも、腹立つときでも、ぐっとこらえるのが冷静な調停の進め方です。
 たとえば、ちゃんと記録を読んでもらっていないと感じるときなどでも、
 「あなたは記録を読んだのですか!?」
などと言われれば、誰しも良い気分はしません。それで、一気に相手の味方になってしまう、というわけではないにせよ、悪い印象を与えては得をしません。

 たとえば、こんなときでも「前回の期日で提出した私の書面でも書かせていただいたのですが」と前置きして、丁寧に自分の主張すべきことを主張しましょう。
「遺産の土地の評価額については、前回、不動産業者の査定を出させていただいておりまして、それによると…」
などと話し出せば、調停委員の方から
「あっ、すみません。ちゃんと出されていたのですね。未だ見ておりませんでした。」
という風に言ってもらえて、雰囲気が良くなることもあります。

 などと言っても、「ユーザーの目線」で家庭裁判所などに行って調停に臨むと、調停委員に対しても、
「プロなんだから、ちゃんとしてよ」
「もっときっちりやってよ」
という気持ちになるかも知れません。
 確かに、一種のプロには違いないのですが、現状、日本の調停委員はボランティア的な立場に近いのが実情です。要するに、調停委員をすることによって十分な給料をもらっているわけではないのです。
 多くは本業がある合間に奉仕的な立場で調停委員を務めているわけです。
 このことについては過去の記事、
 調停委員とは何者か? http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-10-04
で書きました。
 調停委員をみるとき、サービス業をする人と見ると間違いの元です。
 ボランティア的な立場でやってくれている、ということを頭に置いておいたほうがいいです。

 一言に要約すると、調停委員に対しても、
「ありがとう」の気持ち
を持って臨むのが、上手く調停に臨むコツです。
 たとえ納得いかないときでも、心のどこかで「ありがとう」の気持ちを持つ。

 これは、実は、弁護士を依頼するときでも、医者にかかるときでも、教育を受けるときでも、外食するときでも、1番自分が得をするためのコツだと思います。
 ここ私は道徳的な心構えを言いたいわけはなく、それが1番得をする、という実際のことを言っています。

 ですが。
 実を言えば、弁護士である私であっても、調停委員と思わずけんかをしそうになるギリギリの心境になることが多々あります。以前の記事でも書いたとおりです。
 やっぱり紛争に関することです。扱うことが切実ですから。
 でも、けんかしそうになる感情をぐっと、ぐっっぐっとこらえて、できるだけ笑顔で、
「先生(調停委員のこと)の御指摘もご趣旨は分かりますが、前々から申し上げているとおり…の事情がありまして」
と、雰囲気をこわさずに主張すべき点を主張する、のが仕事と思ってやっています。 

 調停の待合室などで、私も依頼者の方に、「私も調停委員さんのあの言い方はちょっとどうかと思います。でも、調停委員が言いたいのはこういうことだと思う・・・。」などと話をすることも多いです。
 


 言うなれば、調停で弁護士を依頼することの意味の1つがこういうところにもあるわけです。
 その際、笑顔が引きつっているかも知れませんが、しかし、それが仕事というものです。
 けんかしてぶち壊しては弁護士の仕事になりません。
強く主張して怒った態度を取るときもありますが、その結果どうなる、という計算をするのが仕事です。

 調停は、弁護士をつけずとも本人で出来る仕組みになっているのですが、冷静に運ぶのが難しいときが多いのです。
 
 そのひとの社会経験や性格によって、冷静に運ぶのが上手い人も中にはいます。
 法律相談で、「私自分で調停をやっているんだけど」という話を聞いて、その中身も聞いて、私が「うん。あなただったらこのまま自分で続けていけば大丈夫ですよ。」という場合もあります。

 しかし、例えば仕事などでとても有能な方でも、調停を冷静に運ぶことには苦労されることも多いです。
 逆に言えば、とても頭のいい人であるために、調停委員の話を聞いても、
「なんでこんな簡単な理屈が分からないのか!」
となってしまうこともあるのです。
 調停委員よりも自分の方が頭の回転が速い、それがために、もどかしく感じてしまったりする人がいるのです。頭が良すぎるのも調停の場面では苦労の源になったりするようです。
 
 私たち弁護士と違って、滅多に調停などに臨むことはないわけですから、まして、紛争の当事者ですから、イライラしたり違和感を感じたりするのは当然のことです。
 そんなわけなので、とにかく、イライラしやすい場面だと想定した上で、
「審判と戦ってはダメ」
というのを心の片隅において調停に臨む、のが大事なポイントです。

 この記事が、調停を冷静に進める、できるだけ納得いく調停の進め方になる一助になれば幸いです。
 個別の調停に関するご相談は、私の所属する事務所(神戸シーサイド事務所http://www.kobeseaside-lawoffice.com)にお願いします。

                                              弁護士 村上英樹
 

【中学生限定企画】夏休み親子憲法セミナー「池上彰さんと一緒に考えよう そうだったのか!憲法そして平和」 [法律案内]

 日本弁護士連合会主催で、標題のタイトルのイベントが開催されます。
http://www.nichibenren.or.jp/event/year/2014/140827.html

 憲法改正問題や、「解釈改憲」問題などがニュースになる今、中学生を対象として、池上彰さんに分かりやすく憲法の基本を解説していただく、というイベントです。
 ザ・ニュースペーパーによるコントもあります。

 中学生の皆さん、夏休みの自由研究課題、今年は憲法をテーマにしてみては如何ですか?

 ということで、奮ってご参加頂ければ、と思います。

                                               弁護士 村上英樹(神戸シーサイド法律事務所

2/22シンポジウム「成年後見制度の限界とそのすき間を埋めるものパートⅡ」のご案内 [法律案内]

 私がパネリストとして出席するシンポジウム(神戸市社会福祉協議会等主催)の案内です。

 成年後見について、色んなことが起こります。
 一般に成年被後見人といえば認知症で判断能力が全く無いと思われがちですが、そうとも言い切れず、例えば、結婚をしたい、遺言をしたいという場面もあります。
 そういうときに、成年後見人はどのように関わり、どんな点に配慮すれば良いか、などを、関連業種の方の実体験を踏まえ議論するシンポジウムです。

 私もこのシンポに向けての打合せの過程で大変勉強になることも多く、このテーマに関心のある方は是非参加頂ければと思います。

 以下、神戸市社会福祉協議会のHPhttp://www.with-kobe.or.jp/cgi-bin/news/index.cgi?file=news&mode=detail&select=1389141953より抜粋して案内します。

 同シンポのチラシはこちらです。→http://www.with-kobe.or.jp/upfile/1389142059_1.pdf



(神戸市社会福祉協議会HPより抜粋)


2月22日(土)シンポジウム 成年後見制度の限界とそのすき間を埋めるものパートⅡ




成年後見制度の限界とそのすき間を埋めるもの

(パートⅡ) ~現場での工夫と取り組み事例から~



日 時:平成26年2月22日(土)13:30~15:30



会 場:たちばな職員研修センター3階 研修室



対 象:福祉・保健・医療等の関係者 (定員160名/先着順)



参加費:無料



主 催:神戸シルバー法律研究会・第三者後見ネットワーク連絡会

神戸市社会福祉協議会・神戸市



シンポジウム申込み:

①氏名 ②FAX番号(FAXで申し込みの場合) ③所属(事業所名)を記入の上、FAXかEメールで。

FAX:078-271-2250

Eメール:support@with-kobe.or.jp
                                                    (抜粋終わり)


 神戸シーサイド法律事務所                   
                                                  弁護士 村上英樹

裁判上の和解には強制力がある [法律案内]

 私たちが日頃扱う民事事件は、結局のところ、何らかの形で、そのトラブルを解決することを究極の目的とします。

 どれだけ勝つにせよ、負けるにせよ、最終的には何らかの解決をして、トラブルを取り除くことが大切です。

 「和解による解決」というのは、それなりに優れた解決の1つです。
 事柄によってはどうしても判決で白黒つける必要がある場合もありますが、当事者が合意して解決するのが良い場合も多いです。

 過去にも和解について記事を書いたことがあります。

  http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2007-11-08 裁判所が和解を勧めることのあれこれ~薬害肝炎事件のニュースから 


 さて今日は「和解」(「示談」というのも同じ意味です)について、種類があることをお話しします。

 大きく分けて、

A 裁判外の和解 B 裁判上の和解

です。


 どちらも和解なのですが、「強制力」に違いがあります。
 ここでいう「強制力」というのは、和解に定めた内容に従わない場合に、

強制執行 … その人の資産(不動産、預金、現金、給料など)に差押えなどをして、そこからお金を回収すること

が出来る、ということを意味します。
 ですから、本当に「逆さに振っても一文もない」という人に対してはやはり無力です。が、何らかの資産がある人に対しては、一定の効果があります。

 A裁判「外」の和解の場合は、その和解だけでは強制力がありません。
 普通の方法で「和解書」を作ったとします。
 例えば、「太郎は次郎に対して、平成25年12月31日限り、金100万円を支払う。」という内容を書いて双方が署名押印をすれば、それが便せんに書かれたものでも何でも有効です。
 ただし、その約束が実行されなかったときでも、その「和解書」があることでいきなり「強制執行」(相手の預金に対する差押えなど)はできません。
 できるのは、「和解書通りに払ってくれ」という訴えを起こすことです。
 訴えを起こして判決をもらって、判決が確定して、初めて差押えなどの強制執行が可能になるのです。
 要するに、「和解書」があっても、実行されなければ裁判しなければならない、のです。

 これに対して、B裁判「上」の和解は効力が違います。
 裁判を起こした上で、その裁判の途中に、裁判所で和解する場合は、「和解書」ではなくて、「和解調書」を作ります。
 これは、当事者同士が判を押してつくるものではなく、裁判所が作ってくれます。
 そして、この「和解調書」がとても効力をもつのです。
 「和解調書」は、確定した判決と同じく、「強制力」があります。
 つまり、その「和解調書」という文書に基づいて、相手の預金に対する差押えなどの強制執行をすることが出来るのです。
 つまり、和解内容が実行されなかったときに、再度裁判を起こす必要はないということです。
 ストレートに、「和解調書」に基づき、差押え等をすることになります。

 そういう意味で、たとえば、相手に対する請求金があって、相手がすぐに全額を用意できないと分かっている場合でも、裁判を起こし、裁判の中で「裁判上の和解」をしておくことは意味のあることです。
 
 なお、「和解調書」のように、その文書に基づいて強制執行(相手財産に対する差押えなど)ができる文書のことを「債務名義」と呼びます。
 「債務名義」には、

確定した判決
和解調書

のほか

仮執行宣言の付いた判決
仮執行宣言の付いた支払督促
調停調書
強制執行を認める文言の入った公正証書

などがあります。
 訴訟(通常の裁判)ではなくて、民事調停を起こしその中で合意して「調停調書」を作った場合でも、同じ「強制力」を得ることができます。
 公正証書を作成する方法でも「強制力」を得ることができます。

 なお、逆に借金をする場合などは、上記のような文書を作成するということになると、返済できなければ、場合によって強制執行(差押えなど)される可能性があるということを知っておく必要があります。

                                 村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所

婚外子相続規定 最高裁違憲判断 [法律案内]

 9月4日、ついに、婚外子の遺産相続分を嫡出子の半分とする民法の規定が「憲法違反」だという最高裁の決定が出ました。

 大学時代民法を勉強したときから、これはいかにも「古くさい」規定だな、これでいいんかいな?とは思っていましたが、10数年後に「違憲」となると予想はできませんでした。

 神戸新聞に載っていた裁判所の決定要旨によると、1947年から現在に至るまでに、「家族という共同体の中における個人の尊重がより明確に認識されてきた」という「認識の変化」があって、それに伴い

「父母が婚姻関係になかったという、子自らが選択や修正する余地のない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきである、という考えが確立されてきている」

ということなどを総合して、「憲法違反」だという決定になったそうです。

 
 色んなケースがあるのですが、例えば、結婚している男性が他の女性との間で子をつくる、ということになれば、大きなトラブルになります。
 大抵は、その後、本人はもちろん、色んな人が後々相当な苦労をすることになります。感情面ももちろん、それだけでなく、経済的な苦労を背負い込むケースも珍しくありません。
 そういうことを原因とするトラブルの事例について私は日頃扱いますし、それが元で、その後長い年月色んなトラブルが起こり続けるという例もあります。ほんと、大変です。「頼むからやめて欲しかった」そういう例が多々あります。
 ですから、政策的に「そのようなことが起こりにくい」制度にするという発想自体はありえるのです。多くの人の幸せのために、「婚姻制度を尊重する」ために。
 しかし、そうかと言って、世の中の「婚姻制度を尊重する」態度を高めるために、

「産まれてきたあなたには何の罪もないのだけれど、すみませんが、『婚姻制度の尊重』とそれを守って暮らしている善良な人々のために、あなたには不利益を受けてもらわなければ仕方ありません。」

ということを、「選択の余地」もなかった産まれてきた子に背負わせるのは、「個人の尊重」からは今や許されない、というのが、今回最高裁の決定だといえます。

 日本国憲法13条は「個人の尊重」を、一番大切なこととして謳っています。
 一番大切なのですが、抽象的過ぎて、どこで、どのような場面で、その「個人の尊重」が出てくるのか?という風にも思われるのです。私も日頃はそう思ってもいました。
 が、この最高裁決定では、それが出てきました。

 
 一方で、不倫で外に子を作られてしまった、という立場の側からすれば、「たまったものではない」という感情もあるとは思います。
 ですが、これは、「その事態を招いた人」に責任を取ってもらうしかない。
 「その事態を招いた人」というのは、(他に選択の余地もあったのに、やめておくこともできたのに)不倫で外に子を作った人であって、もちろん、産まれてきた子ではない、ということです。

 
 人権感覚も前進している世の中で、何の理由も無しにただの「気まぐれ」みたいなもので「個人の尊重」をないがしろにすることはまずありません。
 
 ですから逆に、現代、「個人の尊重」が問題になるのは、ある種の無視できない「ジレンマ」がある場合なのです。
 上で言う、「たまったものではない」感情だって、自然の情で、無視して切り捨てることは出来ません。
 「たまったものではない」感情はあり得るでしょう、でしょうが、責任を負うべき人が誰か、を考え、産まれてきた「個人」の立場だったらどうか、を考え、どうあるべきかを考えましょう、というしかないのですね。

 「個人の尊重」、このことを、人権保障についての「個人主義」と言うこともあります。
 ですが、この例で見てもよく分かるでしょうが、

「個人主義」と「利己主義」は全くの別物(むしろ、相容れない)

です。これを混同する人もいるのですが、大切なことです。

 戦後、憲法が「個人」の尊重をいうようになりましたが、この「個人」の「尊重」の意味は、「家」とか「集団」の犠牲にならない、という意味です。
 「自分勝手」という意味ではありません。だって、自分以外の人も「個人」として尊重されなければならないのですから。

 それにしても、「個人の尊重」の実現や深まり、というのは、一歩ずつ、というものだな、と思いました。

                                           村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所
 

 

 


 

明石商工会議所「創業塾」 [法律案内]

 10年くらい前から継続して、明石商工会議所で企画される「創業塾」の一コマとして講義をさせていただいています。
 今年も、このシリーズ企画で講義をさせて頂くことになっています。

 http://www.kobeseaside-lawoffice.com/topics/1036/
 http://www.akashi-cci.or.jp/

 何か新しくビジネスをはじめようとする方に、必要な基礎知識(法律、経営、税務、金融など色々)をシリーズでお伝えするシリーズ塾です。(定員40名なので、今年はもう締め切りでしょうか。もしそうならお近くで興味持たれた方はごめんなさい。来年もこの企画があればお願いします。)
 
 その中で、私の講義は、創業するなら知っておきたい法律知識を簡単に解説する、というコンセプトです。

 今週末(8月31日(土)午前10時)ですが、今年はどんな方に出会えるのか、楽しみです。
 例年、参加者の方は大変熱心で、こっちがエネルギーをもらえる、という講義です。
 
 法律に関して言えば、ビジネスオーナーとしては、初めから、あんまり細かい知識や条文などを勉強しようとしても効果的ではありません。

 法律で言えば「民法」なのですが、契約とか、債権回収とか、担保とか、誰でもよく出くわすであろう問題について、大きな考え方の筋道を体得して頂くのが一番役に立ちます。
(細かなことは、弁護士に訊くなり、問題が出てきたときに詳しく調べるのが一番です。)
 
 講義は、「基礎知識(体系、考え方)のまとめ」と「ケーススタディ」です。
 「ケース」のサンプルを少しだけ… 

 《例題 サンプル》
 明智球(あけちたま 女性。通称「細河ガラシャ」。)さんは、英国式リフレクソロジーの店舗を開業した。
 球さんは会社勤務歴15年で、それなりに貯蓄もあったが、開業費用にそれだけでは足りず、A銀行に2000万円の融資を申し込んでいる。
 球さんには会社員である夫・細河只沖(ただおき)さんがおり、また、球さんの父・明智蜜秀さんは不動産(土地と建物。居宅。敷地面積100坪。時価2000万円相当。)を所有している。

《設問》 
(1)A銀行は、明智球さんに対する融資について前向きに検討はしているが、「無担保で貸すわけにはいかない」という。
A銀行は、2000万円を融資した場合の担保として、球さんに何を要求するだろうか?(事例中の要素から2つ考えられる。)


 はい、どうでしょうか?
 登場人物は、歴史ブームを反映した雰囲気の架空人物です。

 問題は、問題文から、球さんが借金を返せなかったときの「引き当て」に出来そうな要素を2つみつければよい、ということです。
 球さんが借金を返せなかったとき、「コレを売って払ってもらう」というのと、「この人に払ってもらおう」と、銀行が考えそうな要素です。
(解答は、講義実施後に追記予定)


 こんな感じで、ありそうな事例を題材に皆さんに考えて頂きながら、民法の体系を整理していく、という感じでやってみたいと予定しています。


追記 8/31に講義を実施しました。
 参加者の皆さんは、大変エネルギッシュで、積極的な姿勢で講義に臨んで下さいました。

 上の例、

夫(あるいは父)  が連帯保証人になる      「人的保証」と表現することもある
父の土地に担保権(抵当権)をつける        「物的保証」

という2つのことが考えられました。
 連帯保証人は、本人と全く同じ金銭支払の責任を負う、というところが最も注意すべきポイントです。

   
 
                                     村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所

裁判にはどれくらい時間がかかるか [法律案内]

常に、この質問を頂きます。

 当然ですよね。
 訴訟を起こすのはいいとして、いつ頃解決するのかを知りたいのは、誰でもそうでしょう。

 しかし、答えになかなか困る質問でもあります。
 その理由は、もちろん、予測が難しいからです。

 目安になるかどうか分かりませんが、裁判所の出している

 裁判の迅速化に係る検証に関する報告書 http://www.courts.go.jp/about/siryo/hokoku_04_hokokusyo/index.html

によれば、

平成20年 の 一般民事訴訟の平均審理期間(第1審。通常は地裁) の統計は、  1件あたり6.5か月

だそうです。
 
平成18年 7.8か月
平成16年 8.2か月

とのことです。これは第1審ですので、そのあと控訴(通常は高裁へ)、上告

 この統計を見れば、

裁判は早くなっている

また

年単位の時間がかかると思われがちですが、平均すれば半年とちょっと(意外と短い?)

とも言えます。

 但し、平成20年の統計の際には、いわゆる過払い請求事件 (過去記事 勝訴率が100パーセントに極めて近い事件http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2007-08-17 サラ金への借金利息の払いすぎを取り戻す事件)が多く、これは審理期間が短いタイプの事件だった影響があるとされています。
 なので、それを考慮すれば、やはり平成16年および18年ころの、平均8ヶ月くらいというところを標準とみるのが適当なところだと思われます。

 平均値は上の通りですが、やはり、

事件の種類によって(かなり大きな)違い

があります。

 審理期間が長くなるものについて、きちっとした分析をするのは難しいですが、①内容そのものが複雑な場合や②どうしても時間がかかる要因がある場合などが、長くかかる(1年を超え、2年近くになる。少数ですが2年を超えるものもある)ようです。

① 内容そのものが複雑な場合
  これは、例えば、医療訴訟や金融商品が問題になる訴訟など、内容がややこしい場合です。
  訴状、答弁書、準備書面などの記述はどうしても長くなるし、裁判官が、事案を把握するのにもそれなりに時間がかかります。
  分量があり、内容的にも専門的なものを含む「準備書面」が提出されると、それに対する反論も、それに応じたものになり、時間がかかります。

② どうしても時間がかかる要因がある場合
  例えば、交通事故事件など、事件そのものは典型的なもので特別複雑というほどではないですが、時間のかかりやすい要因があるものもあります。
  交通事故事件では、事故で怪我をした被害者が損害賠償請求しますと、加害者側(保険会社側)は、被害者の医療記録(カルテ)などを取り寄せて検討することが多いです。
  このカルテ取り寄せと検討には数ヶ月かかります。
  被害者側としてはこの間待っているしかないのですが、これは、内容が特別に複雑というわけではないがどうしても時間がかかる場合の一例です。

  その他にも、関係者(当事者)が多数いて、証人尋問(本人尋問)をするとすれば何回も裁判期日を開かなければならない場合も時間がかかります。


 以上のように、裁判は、昔は「何年もかかる」と言われていたようですが、実際には平均して6~8か月程度であり、それなりの期間で終わるものが数としては多いのが統計上言えることです。
 ただ、上記①②など時間のかかりやすい要因がある場合は長くなることがあります。

 私も弁護士になりたてのときは、「いつ終わるのかなあ」という気持ちがありました。
 当事者の方は常にそうだと思います。
 経験上言えることは、手続が進行している以上は、エンドレスではなく、確実に終りに向かっているので、裁判官が「○年○月に終わる」とは言ってくれないものの、遠からず終わる(殆どが2年内には終わる)、ということです。
 
 「どれくらい期間がかかりますか。」はよく質問され、これは本当に答えが難しいのです。
 「およそ半年から2年」といった答えをすることは多いですが、この答えではあまりに幅があります。
 しかし、これが本当であることが実に多いです。幅を大きめに言っているのではなく、本当に、その後の展開によって6か月で終わることもあり得るし、とことんいくと2年ということもあり得るというケースが多数です。

 そんなわけですが、この記事で紹介したような客観的なデータ(平均審理期間)などは一応知っておいていただくと、多少の安心に繋がるかな、と思います。

                            村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所