So-net無料ブログ作成

民事裁判 「判決日」には何をする? [法律案内]

 弁護士に依頼して民事訴訟(裁判)を起こしました。

 たとえば、AさんがBさんに対して貸金500万円を支払え、として訴えた裁判だったとします。
 Bさんは「そんなの借りた覚えがない」として争っていたとします。
 
 裁判が最終盤まできて、ある期日で、裁判所が

「審理を終結します。
 判決言渡期日は平成28年12月8日午後1時です。」

と言いました。

 さて、この「判決言渡期日」には何が行われるでしょうか?
 この日には、「誰が」「何を」するでしょうか?
 Aさんはどうすればいいのでしょうか?
 Aさんの弁護士は何をするのでしょうか?
 「判決言渡期日」の前後について、気をつけなければならないことがあるでしょうか?

 これは、弁護士に依頼して裁判を進めた人が、丁寧に弁護士から説明を受けないと、結構分からなくて「どうすればいいの?」となりがちなことなので、今回の記事で説明させていただきます。

1 「判決言渡期日」には何が行われる? 

 テレビで見ると、民事裁判でも大きなニュースになる事件(例えば、国に対して薬害などを訴えた事件など)では、

「勝訴」とか
「不当判決」とか

大きく書いた紙を持って、弁護団の若手弁護士が裁判所から出てくる映像が、多くの方の「判決言渡期日」のイメージではないでしょうか。

 これは特殊な例です。

 通常の裁判の場合は、裁判所が、「主文」といって、判決の結論部分だけを読み上げて終わります。

「1 被告は、原告に対し、金500万円及び平成26年5月24日より支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。」
「2 訴訟費用は被告の負担とする。」
「この判決は仮に執行することができる。」

という感じです。
 
 そして、多くの裁判では、「判決言渡期日」には当事者も弁護士も出頭しないことがほとんどです。(これは刑事裁判との大きな違いで、刑事では、被告人、弁護人、検察官が必ず出頭して判決言い渡しがなされます。)
 
 ということは、民事裁判では、

裁判官が、当事者がだれも出頭いない状態、いわば、観客ゼロの状態で、判決を読み上げることが多い

ことになります。経験のない人には、とても空しい絵に思われるでしょう。
 双方の弁護士もなんてやる気がないの?という感じを抱くかも知れません。
 誰も出頭しなくても「言い渡し」はしなければなりませんから、裁判所は判決の主文を読み上げます(これは省略しません)。

 当事者が誰も居なくていいのか?と思いますが、次の条文の通りで問題ありません。

民事訴訟法251条2項
 判決の言い渡しは、当事者が在廷しない場合においても、することができる。 
 
2 当事者は?弁護士は?当日なにをする?

 上のようなことなので、判決言渡期日に当事者は出頭しなくても構いません。
 例でいえば「Aさん」は出頭しなくても構いません。

 でも判決がどうなったか気になるじゃないか!

というのは当然です。もちろん、出頭しても構いません。

 じゃあ、肝心の「判決言渡期日」に弁護士は裁判所にも来ず、何もしないの?というのですが、「判決言渡期日」における弁護士の仕事は次のとおりです。

 裁判所まで行っても、実際に聴くことができるのは「主文」だけです。
 「主文」(結論)だけでは、なぜ裁判に勝ったのか、負けたのか分かりませんし、判決の理由を読まないと「次」(註 後で説明します)に向けてどう動くべきかの判断もつきません。

 ですので、要は当日、判決の結果さえ把握できればいいのです。
 多くの場合、弁護士は、事務所から裁判所に電話をかけ、

「本日午後1時言い渡しの○○事件の判決内容を教えて下さい。」

と尋ねます。そうすると、裁判所書記官が、判決内容を教えてくれます。これは普通のことなので、「横着しやがって。法廷まで、聴きに来んか!!」と怒る書記官はいません。

 そうして、当日に判決内容を聴いて、依頼者に電話などで伝えます。
「地裁で、あなたの請求が認められましたよ。」
「残念ながら判決は当方の負けでした。」
と。

 後日、判決書ができあがったら、弁護士(多くは事務員)が裁判所に取りに行くか、事務所に送ってもらいます。
 どちらの方法でも、弁護士(又は事務員)が受け取ったら、「判決書」が「送達」されたことになります。
 この「判決書」を見て初めて、勝った・負けたの理由が分かりますし、判決が納得いくものか、それとも間違った判決なのか、ということの検討が出来るようになります。

 以上のようなこと(実務の通例)は、普通の人は知りませんから、弁護士が当日のことを事前によく説明しておいたほうがいいです。

 私が受けた「他の弁護士の苦情相談」では、

「○○先生は、一番肝心な日に裁判に来なかった。どういうつもりか。信じてついてきたのに、残念で仕方が無い。」

という訴えがありました。もちろん、ここでいう「一番肝心な日」とは「判決言渡期日」のことです。
 説明されなければそう思うのも無理はありません。
 当事者にとっては「運命が決まる日」に他ならないのですから。
 私は、その方に、上で説明した「判決言渡日とはどういうものか」と、その日、弁護士はどういう仕事をするのか?を説明しました。
 そうすると、「なんだ、そうだったの。」と納得されました。が、「それならそうと説明してくれないと、分からないじゃない!心配したじゃない!」とも仰っていました。
 もっともです。

3 判決言渡日前後に気をつけなければならないこと

 何と言っても、

判決言渡日の後2~3週間は、なるべく弁護士と連絡が取りやすい状態にしておくべきだ

ということです。

 大事なのは、判決の「次」の準備です。

 つまり、

判決で負けた場合に不服申立をするか?

という点です。

 例えば、

神戸地方裁判所での判決に対して、負けた場合に、大阪高等裁判所に「控訴」するか?

です。

 まあ、これは「判決が出て、判決文を読んで、その内容次第で考える」でよいのですが、うっかりしてはいけないのは控訴期間です。

民事訴訟法285条 控訴は、判決書(略)の送達を受けた日から2週間の不変期間内に提起しなければならない。

 まず基礎知識として「2週間」です。
 この期間を過ぎてしまったら、泣いても笑っても、判決は「確定」してしまいます。

 依頼している弁護士が控訴する場合に、通常は、次のものが必要です。

(1) 控訴状    
 これは弁護士ならすぐに作れます。
 難しい事件でも控訴の理由を細かく書く必要はありません。
 「控訴する」趣旨を書いて、控訴の理由は「追って」と書けば良いです。

(2) 委任状    
 控訴審(例では高等裁判所)用の委任状が、第1審(例では地方裁判所)用に提出したものとは別に必要です。

(3) 控訴費用
 控訴状に印紙を貼って出さなければなりません。
 また、所定の郵券も納めなければなりません。

(4) 控訴審の弁護士費用
 これは弁護士との間の取り決めによります。

 上の(1)~(4)が揃わなければなりません。
 (3)(4)はお金です。「判決言渡期日」のあたりには、控訴する可能性がある場合に、必要なお金の準備をしておかなければならないということです。
 
 (2)は委任状に名前を書いてハンコを押すだけですが、弁護士と依頼者がなかなか連絡を取れないケースもたまにあります。
 長期出張、海外旅行、病気療養などで2週間連絡が取れず委任状ももらえなければ、場合によってアウトです。
 ですので、判決言渡期日付近(特にその後2週間)のスケジュールは確認しておいた方が良いです。
 委任状のこともありますが、2週間の間に控訴すべきかどうかを相談しなければなりませんから、弁護士と依頼者が連絡を取りやすい状態であるようにしなければなりません。
  
 「2週間」について細かく説明すると「判決書の送達を受けたとき」から「2週間」です。
 これは、本人が判決書の写しを弁護士からもらったときではなくて、「弁護士が裁判所から判決書の送達を受けたとき」です。
 2週間の数え方ですが、初日は数えません。翌日から2週間。
 つまり、

 12月8日  金曜日 判決言い渡し
 12月12日 月曜日 弁護士事務所に判決書が送達されてきた

という場合なら、翌13日から指折り数えて14日目、すなわち、26日月曜日が控訴期間満了の日ということになります。
 弁護士の中には、「月曜日に送達があって、控訴がなく、次の次の月曜日(同じ曜日)が経過すれば判決は確定する」という風に頭を整理している人が多いようです。

 結構あっという間なので、この期間は、弁護士と密に連絡を取れるようにしておいてください。

 控訴する場合は、何はともあれ、期間内に控訴状を出す(弁護士に出してもらう)のです。
 理由を考えるのは後からで構いません。

民事訴訟規則 182条
 控訴状に第一審判決の取消し又は変更を求める事由の具体的な記載がないときは、控訴人は、控訴の提起後五十日以内に、これらを記載した書面を控訴裁判所に提出しなければならない。

というルールになっていて、つまり、

とりあえず2週間以内に控訴状

理由はその後50日以内(これは随分余裕がある、と言っても結構すぐに来ますが…)に、しっかり練って書いて出せば良い

という仕組みです。

 ですので、例えば第1審(地方裁判所)で弁護士を付けずに裁判をやって負けたとして、
「どうしよう!控訴期間は2週間しかない。2週間で事件を初めから分かってもらって、バッチリ準備して、なんて頼める弁護士なんかいないんじゃないか…」
と考えて不安になってしまう必要はありません。
 不服があってこのまま裁判を終わらせたくないなら、ともかくも「控訴」するしかありません。
 その後、弁護士をつけるならつけてじっくり作戦を一緒に考えてもらう、ということでよいのです。

 最後は、控訴の手続についての説明になりましたが、「判決言渡期日」の前にある程度は控訴の手続についてもイメージを持っておいてもらったほうが安心でしょうね。

 控訴審(多くは高等裁判所)では何をする?については、また機会があれば書こうと思います。

  神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹



 

養育費・婚姻費用の算定表について、日弁連が新しい提言 [法律案内]

 11月15日に、日弁連(日本弁護士連合会)が、離婚後の養育費などについて、「新しい提言」をしました。
 
日弁連ホームページ 養育費・婚姻費用の新しい簡易な算定方式・算定表に関する提言
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2016/161115_3.html

 養育費・婚姻費用については、私の過去の記事で取り上げています。

「養育費・婚姻費用の算定表~なぜ表で決めるのか?」
http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2009-05-14

「養育費が払われない場合、どうすればよいか?」
http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-04-27

 「なぜ表で決めるのか?」では、「表で決める」ようになった以前の時代(2003年ころ以前)には養育費・婚姻費用を決めるのに時間がかかりすぎていたことなどを説明しています。
 「表」がなかった時代は、調停などで、養育費等を正確に計算するための資料として、細かい領収証などを当事者に提出させたりしているうちに、何ヶ月も経ってしまっていました。
 しかし、養育費や婚姻費用(別居中の生活費)は、毎月必要な生活のお金ですから早く決めてもらわないと困ります。実際、「細かな領収証がどうとかで何ヶ月も待たされてはたまらない」という声が上がっていました。
 そんな状況を打開するのに、「表」ができた(2003年)ことが大変役に立ったのでした。
 これのおかげで、養育費や婚姻費用を、(以前よりはずっと)素早く決めることができるようになりました。救われた人も多かったと思います。
 余談ですが、この「表」ができた2003年は星野監督のもとで阪神タイガースが18年ぶりに優勝した年でした。

 さて、それから時が経つこと13年…

 この「表」について、もっと良いものにできないか、という動きが出てきました。

 2003年のときは、とにかく実際の調停などで「使える」「表」を作る、ということに意義がありました。はじめての「使える」「表」という意味では、このとき作られた表はよくできたものだったと思います。

 今度は、その「表」をさらにきめ細やかに、夫婦、父・母・子の生活に実態に合うように作りかえるということが課題になってきました。 

 主な点としては、以前の表では、収入から生活費以外に必要な出費として差し引く金額の概算の仕方の問題で、支払われるべき養育費の金額が実態よりも低めに出やすい傾向がある、ということが指摘されていました。
 今回の日弁連提案の「新算定表」では、その問題点について必要な改善をして、また、小学校入学前と入学後の養育に必要な負担の違いに考慮してよりきめ細かな「表」の分け方がなされています。
 また、表を作る上で基礎にする統計資料も最新のものが採用されました。

 その結果、代表的な例

 離婚後の養育費
  父 : 年収400万円
  母 : 年収175万円、子ども15歳と同居

の場合は、「現算定表」(2003年)では月4万円だが、日弁連提案の「新算定表」では月7万円になる、と試算されています。

 新聞ニュースなどによると、「現算定表」と比べて養育費の額が1.5倍くらいに増額される例が多くなるといわれているようです。

 もちろん、これは、養育費を払う側にとってはきつい、ということでもあります。

 ただ、上の例でいうと、おおよそ

父親の月収は平均して33万円(400万円÷12)
母親の月収は平均して15万円(175万円÷12)

子どもの生活費を月に約10万円 として、父7万円、母3万円負担する 

ということになります。
 こう考えると、まずまず妥当な線ではないか、これまでのように父4万円の負担ならば母子側は相当しんどかったのではないか、と思えます。

 さて、今の段階では、日弁連が新しく提言をした、という段階ですから、まだ、すぐにこの「新算定表」が調停などで採用される、というわけではありません。

 ただ、これからは、私たち弁護士もこの「新算定表」提言があることを意識して活動することになりますし、家庭裁判所の裁判官・調停委員もやはり意識するでしょうから、これからの調停・審判にも影響があると思います。

 というわけで、 養育費などの「算定表」がこれからどうなるか? は今とてもホットな課題となっています。

神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹

民法改正されたら~法定利率は3%からの変動制 [法律案内]

 近い将来、民法は全面的に改正されることになりそうです。

 既に平成27年に、法制審議会で改正の要綱案が決定されています。
 http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi04900244.html

 以前、私の日記で、法定金利が5%という破格の高率であることについて記事を書きました。
「金利年5%!!~民事法定利率の話」
 http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-07-06
 特に、交通事故の死亡・後遺障害事案について、将来の逸失利益(その人が事故に遭わなければ得られたであろう一生の収入)の計算で、法定金利5%が被害者に不利に働いている、ということを書きました。

 金利5%というのは今の経済情勢(長く続く超低金利、また、かつてのような経済が急成長する状況は考えられない)ことからして、余りに実情からかけ離れています。
 また、それを前提に利息請求することも、また、死亡事故などで逸失利益の計算に「中間利息控除」として5%を使えば(5%分の金利を「天引き」して賠償額を決めると)被害者が大きな不利を被ることなどから、不都合があります。
 
 このように5%は実情に合わないという共通認識から、民法改正では、

1 まず法定金利(契約で金利を決めなかった場合の貸金などの金利)を初期設定として3%とする。

2 その後、3年ごとに、過去5年分のデータ(正確に言えば、6年前~2年前の短期貸付の平均利率)をもとに、1%単位で見直しをする。

という変動制をとる方針が決まっています。
 ただし、変動制について、細かい説明は省きますが、相当大きな実勢金利の変化がない限りなかなか3%は動かない仕組みになっています。
 なので、民法改正後、当分は法定金利3%になる可能性が高いといえます。

 また、民法改正要綱では、交通事故の死亡・後遺障害事案での逸失利益の計算(中間利息控除)でも、上記の通り定まる「法定利率」を使うと定められています。(現在の民法は、中間利息控除について「法定利率」でしなければならない、とは書いていません。最高裁判決は「法定利率で行う」としています。)

 ですので、現在の法定利率5%で「中間利息控除」をして逸失利益(賠償金の大きな部分)を決めるよりも、3%のほうが被害者にとっては有利になります。
 「中間利息控除」として減らされる金額が少なくてすむからです。
 それでも、年利3%でお金を現実に運用することは出来ないので、「中間利息控除」が被害者に不利に働くという点が解消されるわけではありませんが。

 なお、法定利率はあくまで、契約で金利を決めなかった場合の話です。

 ですので、例えば「AさんがBさんに対して金100万円を貸した」場合に、

1 契約書に金利が明記してある(たとえば、10%、1%、利息なし、など)場合
   →契約書に書かれた金利になります。

2 金利の約束がない場合(決めなかった場合)
   →現在は               5%
    民法改正されたら       当分は3%

となるということです。

 民法改正は全面改正になりますので、この他にも、色々変わります。
 民法というのは、取引上の基本ルールを定めた法律ですので、改正は私たちの暮らしに影響することがあります。

 他の変更点についても、折に触れてご紹介していこうと思います。

神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹








 

『天然パーマでいじめられ「縮毛矯正」した娘に学校が「戻せ!」、そんな対応はアリ?』 [法律案内]

 弁護士ドットコムの記事『天然パーマでいじめられ「縮毛矯正」した娘に学校が「戻せ!」、そんな対応はアリ?』にコメントしています。
 興味のある方はどうぞ↓

https://www.bengo4.com/shohishahigai/n_4772/
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160616-00004772-bengocom-soci

 限られた字数の記事の中なので、どうしても言葉足らずになってしまっていますが、奇抜な格好をしよう、というのではなく普通に学校に行くためにストレートパーマを当てる、ということならば、学校も柔軟に考えてあげればいいのにな、というところです。

 それでも、私が高校生だったころ(20数年ほど前)と比べれば、私の身の回りで見る限りは、今の高校生の方のファッションは「上品」になったと思います。

 茶髪、金髪への染毛の人、特に極端に明るい色の人などの割合は激減している。

 パーマも減った?特に、ドレッドとか、「とがった」感じの髪型は減った。

 でも、多くの人は「さりげなく」おしゃれ。黒髪、短髪でもおしゃれ。

 今の子たちは格好いいな、と思いつつ、「一つ上の世代」としては、中高生なのにまとまり良すぎでは?もうちょっと「はみ出し」てみてもいいのでは?と思ったり、奇妙な種類の「老婆心」が湧いてくる今日この頃です。
 
 各学校の校則の意義は否定しませんし、ルールを守ることも大切だと思います。
 でも、(弁護士ドットコムの事例は全然違うけれども)たとえ「奇抜な格好をしてみたい」ということであったとしても、そういう魂の自由さそのものはかけがえのないものです。その子の色んな力を伸ばす原動力です。
 個々の生徒の内から湧く力、魂の自由さをできるだけ損ねず、かつ、ルールのある社会で生きていくことも学んでいけるようにする。
 こういうのが学校の役割、先生の役割だと思います。想像すると、色々大変だろうなあ、体力・気力が要るだろうなあ、と思います。頭が下がる思いです。

       神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹
 
  


最高裁判決~「花押」では遺言に必要な「押印」と認められない [法律案内]

 最高裁は、平成28年6月3日の判決で、「花押を書くことによって、自筆証書遺言の方式としての『押印』の要件を満たしたとはいえない」という判断を下しました。

 花押は「かおう」と読みます。
 私もよく知りませんでしたが、要するに、漢字を崩した手書きのサインであるとのことです。
 ネットで検索すると、戦国武将や歴代首相のものもあって、それはそれで格好いいもののようです。

 ところで、遺言のうち、公正証書で作成するものではなく、自分で書く自筆証書遺言については、民法で方式が厳格に決まっていて、方式に従っていないものについては効力がありません。
 
 民法968条1項には

 自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない

と定められています。
 この「印を押」す、というのが、「花押を書く」でもいいか?という問題です。

 最高裁は、ダメだ、という判断を下しています。
 
 ここで、この最高裁の判断を題材に、法律問題を考えるときに役に立つ考え方の一つを紹介してみたいと思います。

 それが、

「形式」面と「実質」面を分けて考える


ということです。
 これは、法律問題に限らず、政治の問題や人々の間の利害調整や色んな問題を考えるときの一つの視点です。

 法律問題で言えば、

「形式」 法律の条文や、条文に書かれた文言(もんごん)、手続が正しいか、など
「実質」 法律の目的、趣旨(「こころ」のようなもの)、価値判断(「何を大切にするか」)など

というイメージです。

 それでは、今回の最高裁判決の一部を下に引用します。

(引用開始)
花押を書くことは,印章による押印とは異なるから,民法968条1項の押印の要件を満たすものであると直ちにいうことはできない。
そして,民法968条1項が,自筆証書遺言の方式として,遺言の全文,日付及び氏名の自書のほかに,押印をも要するとした趣旨は,遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに,重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ(最高裁昭和62年(オ)第1137号平成元年2月16日第一小法廷判決・民集43巻2号45頁参照),我が国において,印章による押印に代えて花押を書くことによって文書を完成させるという慣行ないし法意識が存するものとは認め難い。
以上によれば,花押を書くことは,印章による押印と同視することはできず,民法968条1項の押印の要件を満たさないというべきである。
                                (引用終わり)

 この引用部分を題材に、「形式」「実質」を分析してみます。

 まず、「全部形式論じゃん!」という意見を持つ人もいると思います。
 もちろん遺言の方式の話ですから、基本的に「形式論」の要素があります。
 ただ、その中にも、「形式」面にスポットを当てた部分と、「実質」面にスポットを当てた部分があり、これを分けて読めれば、判決文の読み方がグッと違ってきます。

1 まず、この部分は「形式」面の検討です。

「花押を書くことは,印章による押印とは異なるから,民法968条1項の押印の要件を満たすものであると直ちにいうことはできない。」

 「形式」において○か×か。
 少しわかりにくいですが、「『直ちに』いうことはできない」は△~×という感じです。
 「花押を書く」というのを、「押印」と解釈するのは、絶対にない解釈とは言えないが、普通にそのように解釈されるものでもなかろう、というくらいの判断です。

2 で、後の部分は「実質」面の検討になります。

「そして,民法968条1項が,自筆証書遺言の方式として,遺言の全文,日付及び氏名の自書のほかに,押印をも要するとした趣旨は,遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに,重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ(最高裁昭和62年(オ)第1137号平成元年2月16日第一小法廷判決・民集43巻2号45頁参照),我が国において,印章による押印に代えて花押を書くことによって文書を完成させるという慣行ないし法意識が存するものとは認め難い。」

 ここは、なぜ、自筆証書遺言に「押印」が必要か?を論じています。
 「押印」を必要とした法の趣旨「こころ」です。
  
「重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させる」というのが日本の慣行だ、だから自筆証書遺言には「押印」が必要だと民法が定めているのだ、ということです。
 民法は、重要文書は「ハンコ押して完成」という日本の慣行を重視している、ということです。

 ですが、日本で「花押を書くことによって文書を完成させるという慣行」があるとは認め難い、から、民法968条1項の趣旨(こころ)から考えてもやっぱりダメ、という判断です。
 「花押」というサインをして完成、というのは、ハンコと違って、日本での一般的な慣行とは言えない、という判断です。
 判決文には書いてありませんが、そもそも「花押」を知らない人も多いわけで、日本全体で一般に通用しているとまで言えないし…という感じでしょう。

 以上の通りで、「形式」面でみた場合は△~×という感じで、「実質」面でみると×、結局、花押を書くことでは自筆証書遺言に必要な「押印」とは認められない、という判決になっています。

 上にも書きましたが、

「形式」面、「実質」面を一旦わけて、両方考えてみる

というのは、物事を考える上で役に立つ見方なので、法学部生の皆さんはもちろん、そういう思考方法に馴染みのない方は少し意識してみられると、ニュースを見るのでも、日常の仕事でも新しい発見があると思います。

 なお、世の中の進歩や変化の中で、難しい、微妙な問題になることの多くは、例えば、

「実質」面で考えると ○ 

だが、

「形式」面で考えると ×

というように、「実質」からのアプローチと「形式」からのアプローチで結論が反対方向に行きそうな場合です。

例えば、試験で持ち込み許可物件として

「ボールペン、鉛筆、消しゴムに限る」

とあったとして、では

「シャープペンシルはOKか?」

というような問題です。

 「形式」的には「×」なのでルールとしてはアウトなのかも知れませんが、意味から考えて、シャープペンシルを禁止する理由は乏しいかも知れません。
 なので、この場合は、申出したらOKになるかもしれないし、今後ルール変更になるかも分かりません。
 制度とか法律が世の中に追いついていない、というときに、こういう「形式」と「実質」のずれが起こり易いものです。

 さて、今回の最高裁判決では、「形式」と「実質」との両方を検討した結果、「花押を書く」では自筆証書遺言に必要な「押印」にならない、ということになったわけです。

 なお、自筆証書遺言については過去の最高裁判決で、「指印」はOKとされています。こちらは「花押を書く」のと違って、「押印」と認められています。判断の基準は今回の判決と同じことが書かれている箇所がありますので、法学部生の方などは参照されておかれると良いと思います。

 あと、実際に遺言をすることを考えられる方は、次の点をご注意願います。
 よく言われることですが、遺言をする場合、自筆証書の作成は方式が整っていないと無効になる恐れがありますから、一定の遺産があって確実に遺言通りになるようにしたい場合は、公正証書遺言にされることをお勧めします。

                       神戸シーサイド法律事務所
                             弁護士 村上英樹





 



調停委員とけんかしてはダメ~調停を冷静に進めるために2~ [法律案内]

 私のブログのアクセス数で最もアクセスの多い記事は、
「調停委員が相手の肩ばかり持つ!?」~調停を冷静に進めるために~                     http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15
です。
 
息抜き記事である、「私の灘中受験記」http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30
を上回っています。
 
 弁護士ブログとしては、実にうれしい傾向です。

 そこで、今回は、調停に関する記事の続編を書いてみます。

 調停というのは、

家庭裁判所の案件  遺産分割、離婚など

簡易裁判所の案件   民事(貸金、家の賃貸、交通事故その他色々)

です。私の扱う件数で言えば、調停事件は家裁のものが多いと思います。
 
 今回はタイトル通りで、調停を行う場合、特に弁護士をつけず本人で行う場合に気をつけることです。
 本当に気をつけなければなりません。

 前の記事でも書いたとおり、調停はその仕組み上、「調停委員が相手の肩ばかり持つ」ように見えるものなのです。
 仮に、調停委員が、両当事者のどっち寄りでもなく、全くのど真ん中だったとしても、当事者にとって不利な事実を指摘して譲歩するように言ってくるものなので、当事者からすれば「相手の肩ばかり持つ」ように思えるものです。

 さらにいえば、「全くのど真ん中」というのは珍しいです。
 たとえば、ここに1枚の紙があって、真っ二つに破って下さい、と言われたとしても、どちらか一方が多少は大きくなるように、調停委員が「公平」「どちらにも偏らず」と努めても「全くのど真ん中」にはならず、多少は「どちらか寄り」になってしまうことはあります。

 そこで特に、どちらかいえば「調停委員の雰囲気が自分にとって良くない」と感じる側が注意しなければならないことです。
 調停委員の言うことについて納得できないので、ついつい、カッとなって調停委員に食ってかかってしまったり、調停委員を非難したりしてしまうことがあります。
 
 もちろん、自分の意見を主張することは良いのです。紛争を解決する調停ですから、自分の主張をちゃんと言わなければはじまりません。
 ですが、「するべき主張をする」のと、してはいけない「攻撃」「非難」とを分けないと得になりません。
 
 例を挙げます。例えば、遺産分割の調停だったとしましょう。

 「するべき主張をする」 
 本題である遺産分割の内容に関係することを主張することは、ちゃんとすべきです。
・ 亡くなったお父さんには○○の財産があった。
・ 遺産のうち、○○市にある不動産の評価額は○○円になる。
等々のことです。

 してはいけない「攻撃」「非難」 
 本題を外れて、調停委員に対して
・ 「なぜあなたは相手の肩ばかり持つのか」
・ 「あなたはちゃんと記録を読んでいるのか」
・ 「あなたは前は○○と言ったのに、話が違うじゃないか」
などなどです。
 
 なぜいけないかというと、簡単に言えば、
「戦う相手を間違っている」
からです。

 サッカーなどのスポーツにたとえて言うならば、相手選手と戦わず、レフェリー(審判)と戦うようなものです。

 調停委員は、裁判官とともに、調停の運営をする側です。
 いわば、試合のレフェリー(審判)に近い立場、あるいは、運営者の立場です。

 自分にとって十分な働きではない、と仮に感じていたとしても「自分と相手の紛争を解決するために協力してもらわなければならない存在」であることに違いないのです。

 調停委員はその立場上、あなたの完全な味方になる、ということはあり得ません。
 が、しかし、紛争を解決するための「協力者」にはなってもらえる存在なのです。
 「協力者」となってもらいたい人を攻撃、非難してしまっては、損を重ねることになってしまいかねません。

 調停委員の事件への取り組み方に不満がある場合でも、腹立つときでも、ぐっとこらえるのが冷静な調停の進め方です。
 たとえば、ちゃんと記録を読んでもらっていないと感じるときなどでも、
 「あなたは記録を読んだのですか!?」
などと言われれば、誰しも良い気分はしません。それで、一気に相手の味方になってしまう、というわけではないにせよ、悪い印象を与えては得をしません。

 たとえば、こんなときでも「前回の期日で提出した私の書面でも書かせていただいたのですが」と前置きして、丁寧に自分の主張すべきことを主張しましょう。
「遺産の土地の評価額については、前回、不動産業者の査定を出させていただいておりまして、それによると…」
などと話し出せば、調停委員の方から
「あっ、すみません。ちゃんと出されていたのですね。未だ見ておりませんでした。」
という風に言ってもらえて、雰囲気が良くなることもあります。

 などと言っても、「ユーザーの目線」で家庭裁判所などに行って調停に臨むと、調停委員に対しても、
「プロなんだから、ちゃんとしてよ」
「もっときっちりやってよ」
という気持ちになるかも知れません。
 確かに、一種のプロには違いないのですが、現状、日本の調停委員はボランティア的な立場に近いのが実情です。要するに、調停委員をすることによって十分な給料をもらっているわけではないのです。
 多くは本業がある合間に奉仕的な立場で調停委員を務めているわけです。
 このことについては過去の記事、
 調停委員とは何者か? http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2012-10-04
で書きました。
 調停委員をみるとき、サービス業をする人と見ると間違いの元です。
 ボランティア的な立場でやってくれている、ということを頭に置いておいたほうがいいです。

 一言に要約すると、調停委員に対しても、
「ありがとう」の気持ち
を持って臨むのが、上手く調停に臨むコツです。
 たとえ納得いかないときでも、心のどこかで「ありがとう」の気持ちを持つ。

 これは、実は、弁護士を依頼するときでも、医者にかかるときでも、教育を受けるときでも、外食するときでも、1番自分が得をするためのコツだと思います。
 ここ私は道徳的な心構えを言いたいわけはなく、それが1番得をする、という実際のことを言っています。

 ですが。
 実を言えば、弁護士である私であっても、調停委員と思わずけんかをしそうになるギリギリの心境になることが多々あります。以前の記事でも書いたとおりです。
 やっぱり紛争に関することです。扱うことが切実ですから。
 でも、けんかしそうになる感情をぐっと、ぐっっぐっとこらえて、できるだけ笑顔で、
「先生(調停委員のこと)の御指摘もご趣旨は分かりますが、前々から申し上げているとおり…の事情がありまして」
と、雰囲気をこわさずに主張すべき点を主張する、のが仕事と思ってやっています。 

 調停の待合室などで、私も依頼者の方に、「私も調停委員さんのあの言い方はちょっとどうかと思います。でも、調停委員が言いたいのはこういうことだと思う・・・。」などと話をすることも多いです。
 


 言うなれば、調停で弁護士を依頼することの意味の1つがこういうところにもあるわけです。
 その際、笑顔が引きつっているかも知れませんが、しかし、それが仕事というものです。
 けんかしてぶち壊しては弁護士の仕事になりません。
強く主張して怒った態度を取るときもありますが、その結果どうなる、という計算をするのが仕事です。

 調停は、弁護士をつけずとも本人で出来る仕組みになっているのですが、冷静に運ぶのが難しいときが多いのです。
 
 そのひとの社会経験や性格によって、冷静に運ぶのが上手い人も中にはいます。
 法律相談で、「私自分で調停をやっているんだけど」という話を聞いて、その中身も聞いて、私が「うん。あなただったらこのまま自分で続けていけば大丈夫ですよ。」という場合もあります。

 しかし、例えば仕事などでとても有能な方でも、調停を冷静に運ぶことには苦労されることも多いです。
 逆に言えば、とても頭のいい人であるために、調停委員の話を聞いても、
「なんでこんな簡単な理屈が分からないのか!」
となってしまうこともあるのです。
 調停委員よりも自分の方が頭の回転が速い、それがために、もどかしく感じてしまったりする人がいるのです。頭が良すぎるのも調停の場面では苦労の源になったりするようです。
 
 私たち弁護士と違って、滅多に調停などに臨むことはないわけですから、まして、紛争の当事者ですから、イライラしたり違和感を感じたりするのは当然のことです。
 そんなわけなので、とにかく、イライラしやすい場面だと想定した上で、
「審判と戦ってはダメ」
というのを心の片隅において調停に臨む、のが大事なポイントです。

 この記事が、調停を冷静に進める、できるだけ納得いく調停の進め方になる一助になれば幸いです。
 個別の調停に関するご相談は、私の所属する事務所(神戸シーサイド事務所http://www.kobeseaside-lawoffice.com)にお願いします。

                                              弁護士 村上英樹
 

【中学生限定企画】夏休み親子憲法セミナー「池上彰さんと一緒に考えよう そうだったのか!憲法そして平和」 [法律案内]

 日本弁護士連合会主催で、標題のタイトルのイベントが開催されます。
http://www.nichibenren.or.jp/event/year/2014/140827.html

 憲法改正問題や、「解釈改憲」問題などがニュースになる今、中学生を対象として、池上彰さんに分かりやすく憲法の基本を解説していただく、というイベントです。
 ザ・ニュースペーパーによるコントもあります。

 中学生の皆さん、夏休みの自由研究課題、今年は憲法をテーマにしてみては如何ですか?

 ということで、奮ってご参加頂ければ、と思います。

                                               弁護士 村上英樹(神戸シーサイド法律事務所

2/22シンポジウム「成年後見制度の限界とそのすき間を埋めるものパートⅡ」のご案内 [法律案内]

 私がパネリストとして出席するシンポジウム(神戸市社会福祉協議会等主催)の案内です。

 成年後見について、色んなことが起こります。
 一般に成年被後見人といえば認知症で判断能力が全く無いと思われがちですが、そうとも言い切れず、例えば、結婚をしたい、遺言をしたいという場面もあります。
 そういうときに、成年後見人はどのように関わり、どんな点に配慮すれば良いか、などを、関連業種の方の実体験を踏まえ議論するシンポジウムです。

 私もこのシンポに向けての打合せの過程で大変勉強になることも多く、このテーマに関心のある方は是非参加頂ければと思います。

 以下、神戸市社会福祉協議会のHPhttp://www.with-kobe.or.jp/cgi-bin/news/index.cgi?file=news&mode=detail&select=1389141953より抜粋して案内します。

 同シンポのチラシはこちらです。→http://www.with-kobe.or.jp/upfile/1389142059_1.pdf



(神戸市社会福祉協議会HPより抜粋)


2月22日(土)シンポジウム 成年後見制度の限界とそのすき間を埋めるものパートⅡ




成年後見制度の限界とそのすき間を埋めるもの

(パートⅡ) ~現場での工夫と取り組み事例から~



日 時:平成26年2月22日(土)13:30~15:30



会 場:たちばな職員研修センター3階 研修室



対 象:福祉・保健・医療等の関係者 (定員160名/先着順)



参加費:無料



主 催:神戸シルバー法律研究会・第三者後見ネットワーク連絡会

神戸市社会福祉協議会・神戸市



シンポジウム申込み:

①氏名 ②FAX番号(FAXで申し込みの場合) ③所属(事業所名)を記入の上、FAXかEメールで。

FAX:078-271-2250

Eメール:support@with-kobe.or.jp
                                                    (抜粋終わり)


 神戸シーサイド法律事務所                   
                                                  弁護士 村上英樹

裁判上の和解には強制力がある [法律案内]

 私たちが日頃扱う民事事件は、結局のところ、何らかの形で、そのトラブルを解決することを究極の目的とします。

 どれだけ勝つにせよ、負けるにせよ、最終的には何らかの解決をして、トラブルを取り除くことが大切です。

 「和解による解決」というのは、それなりに優れた解決の1つです。
 事柄によってはどうしても判決で白黒つける必要がある場合もありますが、当事者が合意して解決するのが良い場合も多いです。

 過去にも和解について記事を書いたことがあります。

  http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2007-11-08 裁判所が和解を勧めることのあれこれ~薬害肝炎事件のニュースから 


 さて今日は「和解」(「示談」というのも同じ意味です)について、種類があることをお話しします。

 大きく分けて、

A 裁判外の和解 B 裁判上の和解

です。


 どちらも和解なのですが、「強制力」に違いがあります。
 ここでいう「強制力」というのは、和解に定めた内容に従わない場合に、

強制執行 … その人の資産(不動産、預金、現金、給料など)に差押えなどをして、そこからお金を回収すること

が出来る、ということを意味します。
 ですから、本当に「逆さに振っても一文もない」という人に対してはやはり無力です。が、何らかの資産がある人に対しては、一定の効果があります。

 A裁判「外」の和解の場合は、その和解だけでは強制力がありません。
 普通の方法で「和解書」を作ったとします。
 例えば、「太郎は次郎に対して、平成25年12月31日限り、金100万円を支払う。」という内容を書いて双方が署名押印をすれば、それが便せんに書かれたものでも何でも有効です。
 ただし、その約束が実行されなかったときでも、その「和解書」があることでいきなり「強制執行」(相手の預金に対する差押えなど)はできません。
 できるのは、「和解書通りに払ってくれ」という訴えを起こすことです。
 訴えを起こして判決をもらって、判決が確定して、初めて差押えなどの強制執行が可能になるのです。
 要するに、「和解書」があっても、実行されなければ裁判しなければならない、のです。

 これに対して、B裁判「上」の和解は効力が違います。
 裁判を起こした上で、その裁判の途中に、裁判所で和解する場合は、「和解書」ではなくて、「和解調書」を作ります。
 これは、当事者同士が判を押してつくるものではなく、裁判所が作ってくれます。
 そして、この「和解調書」がとても効力をもつのです。
 「和解調書」は、確定した判決と同じく、「強制力」があります。
 つまり、その「和解調書」という文書に基づいて、相手の預金に対する差押えなどの強制執行をすることが出来るのです。
 つまり、和解内容が実行されなかったときに、再度裁判を起こす必要はないということです。
 ストレートに、「和解調書」に基づき、差押え等をすることになります。

 そういう意味で、たとえば、相手に対する請求金があって、相手がすぐに全額を用意できないと分かっている場合でも、裁判を起こし、裁判の中で「裁判上の和解」をしておくことは意味のあることです。
 
 なお、「和解調書」のように、その文書に基づいて強制執行(相手財産に対する差押えなど)ができる文書のことを「債務名義」と呼びます。
 「債務名義」には、

確定した判決
和解調書

のほか

仮執行宣言の付いた判決
仮執行宣言の付いた支払督促
調停調書
強制執行を認める文言の入った公正証書

などがあります。
 訴訟(通常の裁判)ではなくて、民事調停を起こしその中で合意して「調停調書」を作った場合でも、同じ「強制力」を得ることができます。
 公正証書を作成する方法でも「強制力」を得ることができます。

 なお、逆に借金をする場合などは、上記のような文書を作成するということになると、返済できなければ、場合によって強制執行(差押えなど)される可能性があるということを知っておく必要があります。

                                 村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所

婚外子相続規定 最高裁違憲判断 [法律案内]

 9月4日、ついに、婚外子の遺産相続分を嫡出子の半分とする民法の規定が「憲法違反」だという最高裁の決定が出ました。

 大学時代民法を勉強したときから、これはいかにも「古くさい」規定だな、これでいいんかいな?とは思っていましたが、10数年後に「違憲」となると予想はできませんでした。

 神戸新聞に載っていた裁判所の決定要旨によると、1947年から現在に至るまでに、「家族という共同体の中における個人の尊重がより明確に認識されてきた」という「認識の変化」があって、それに伴い

「父母が婚姻関係になかったという、子自らが選択や修正する余地のない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきである、という考えが確立されてきている」

ということなどを総合して、「憲法違反」だという決定になったそうです。

 
 色んなケースがあるのですが、例えば、結婚している男性が他の女性との間で子をつくる、ということになれば、大きなトラブルになります。
 大抵は、その後、本人はもちろん、色んな人が後々相当な苦労をすることになります。感情面ももちろん、それだけでなく、経済的な苦労を背負い込むケースも珍しくありません。
 そういうことを原因とするトラブルの事例について私は日頃扱いますし、それが元で、その後長い年月色んなトラブルが起こり続けるという例もあります。ほんと、大変です。「頼むからやめて欲しかった」そういう例が多々あります。
 ですから、政策的に「そのようなことが起こりにくい」制度にするという発想自体はありえるのです。多くの人の幸せのために、「婚姻制度を尊重する」ために。
 しかし、そうかと言って、世の中の「婚姻制度を尊重する」態度を高めるために、

「産まれてきたあなたには何の罪もないのだけれど、すみませんが、『婚姻制度の尊重』とそれを守って暮らしている善良な人々のために、あなたには不利益を受けてもらわなければ仕方ありません。」

ということを、「選択の余地」もなかった産まれてきた子に背負わせるのは、「個人の尊重」からは今や許されない、というのが、今回最高裁の決定だといえます。

 日本国憲法13条は「個人の尊重」を、一番大切なこととして謳っています。
 一番大切なのですが、抽象的過ぎて、どこで、どのような場面で、その「個人の尊重」が出てくるのか?という風にも思われるのです。私も日頃はそう思ってもいました。
 が、この最高裁決定では、それが出てきました。

 
 一方で、不倫で外に子を作られてしまった、という立場の側からすれば、「たまったものではない」という感情もあるとは思います。
 ですが、これは、「その事態を招いた人」に責任を取ってもらうしかない。
 「その事態を招いた人」というのは、(他に選択の余地もあったのに、やめておくこともできたのに)不倫で外に子を作った人であって、もちろん、産まれてきた子ではない、ということです。

 
 人権感覚も前進している世の中で、何の理由も無しにただの「気まぐれ」みたいなもので「個人の尊重」をないがしろにすることはまずありません。
 
 ですから逆に、現代、「個人の尊重」が問題になるのは、ある種の無視できない「ジレンマ」がある場合なのです。
 上で言う、「たまったものではない」感情だって、自然の情で、無視して切り捨てることは出来ません。
 「たまったものではない」感情はあり得るでしょう、でしょうが、責任を負うべき人が誰か、を考え、産まれてきた「個人」の立場だったらどうか、を考え、どうあるべきかを考えましょう、というしかないのですね。

 「個人の尊重」、このことを、人権保障についての「個人主義」と言うこともあります。
 ですが、この例で見てもよく分かるでしょうが、

「個人主義」と「利己主義」は全くの別物(むしろ、相容れない)

です。これを混同する人もいるのですが、大切なことです。

 戦後、憲法が「個人」の尊重をいうようになりましたが、この「個人」の「尊重」の意味は、「家」とか「集団」の犠牲にならない、という意味です。
 「自分勝手」という意味ではありません。だって、自分以外の人も「個人」として尊重されなければならないのですから。

 それにしても、「個人の尊重」の実現や深まり、というのは、一歩ずつ、というものだな、と思いました。

                                           村上英樹(弁護士、神戸シーサイド法律事務所