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続々 その契約大丈夫ですか? [弁護士業について]

  その契約大丈夫ですか?のチェックポイントの第1で、「相手方が誰か?」というのを挙げました。

 ただし、「相手方が、有名な大企業であるから安心!」というのは違います。

 例えば、

国、地方自治体

銀行

証券会社

保険会社

有名スーパー

病院

などを相手取って訴訟が起こされることも多々あるわけですから、相手がどんなに大きな組織であっても、「その契約大丈夫!」とはなりません。

 特に、最近トラブルが生じている仕組債やデリバティブと呼ばれる金融商品などは、多くの場合、誰もが知っている銀行や証券会社が契約の相手方なのですが、これを「相手が、誰でも知っている○○銀行」と思って安心して契約する、というのは危険極まりないことです。

 ただし、例えば、当面倒産するとは思われない大企業等が相手である場合、少なくとも、その相手に対しては、

連絡は取れる

裁判を起こして判決(「金○○円支払え」)をもらえば、そのお金は払ってもらえる可能性は高い

ということはいえます。

 え!?そんなレベルの話??

と思われると思います。

 しかし、私たちが相談を受ける事案では、必ずしも「そんなレベル」というのが当たり前でなかったりします。

 例えば、こんなネーミングの取引相手はどうでしょう?


住所 神戸市(以下略)

業者の名称 トンズラ投資顧問会社(※私の創作名称です。実在の人物、団体等とは何ら関係ありません。)


 どうです。私が、出鱈目に作った名称です。うさんくさいでしょう?

 この名前の相手ならば、何かトラブルが起こったとき、

連絡は取れないかも 裁判を起こして勝っても、判決で命じられたお金がとれないかも


という気になるでしょう。

 では、


住所 東京都○○区(以下略)

名称 ※ なんとなく、それらしい横文字の名前 (村上註 こんな名前実在しないだろうと例示して、うっかりヒットしてしまうとこまるので、例示できませんでした。読者の皆様、小心な私を許して下さい。)


だったらどうでしょう?

「※ なんとなく、それらしい横文字の名前」

なんて思って、完全に信用してしまう方は、読者の方にはいらっしゃらないはず、きっと(この文脈では)。


 なんとなく、それらしい横文字が並んでも、「トンズラ投資顧問会社」と同じく、


あなたが、相手の氏素性を知らないことに変わりはない


のです。である以上、

連絡がつかない可能性

訴訟で勝っても判決金を回収できない可能性

についても変わりはないのです。


 もちろん「トンズラ投資顧問会社」にしても「名称(※なんとなく、それらしい横文字の名前)」にしても、良心的な業者である可能性もあります。しかし、そうでない可能性もある、つまり「分からない」、という事実をしっかりと分かった上で、契約をしなければなりません。

 だから、たとえば、売買などをするときでも、ヤフーオークションにしても、amazonにしても、「ユーザーからの評価」のような項目があるのですね。せめて、その内容はチェックしておきたいものです。(一定数のユーザーが信頼しているか。また、サクラを疑わせるような、不自然な高評価の書き込みになっていないか、くらいは。これで完全に信頼できるわけでもないですが、しないよりはよいです。)

 ついでにいうと、「東京都…」は「神戸市…」に比べて信用する材料になりません!
 東京が悪いというのではなく、もちろん、東京の相手のほうがたくさんの人や業者に紛れやすいわけですから、「どこの何者かをより特定しにくい」とも言えるのです。
 また、ヤミ金融とか、振り込め詐欺、投資詐欺は圧倒的に東京の業者が多いです。

 ということで、契約の相手方チェックというのは、前回の記事でも書いたとおり、


自分は相手が何者であるか知っているか?

からスタートしなければなりません。

 ついでにいえば、ネットでHPが存在したからといって、(ないよりは信用できるかも知れませんが)、HPを作るくらいは誰でも簡単に出来るわけですから、決してそれだけで信用してはなりません。

 ごくごく当たり前のことです。

 でも。

 なぜか、契約しようとしている最中だけ、この当たり前のことが意識から薄れてしまうということは、大多数の人に起こりえることなのです。

 大金を払う契約をするようなときは、チラとでもこの記事を思い出して頂ければ、もしかしたら、大きな後悔をする事態を防げるかも知れません。そう祈ります。

 あと、逆の意味で、「相手が有名会社だから、よく分からない契約だけどOKだろう」も危険!(ただし、相手が何者か分かっているので、「契約内容は大丈夫か?」というところが主な問題になります。その意味ではまし。)
こっちも是非頭に残して頂ければと思います。






 

続 その契約大丈夫ですか? [弁護士業について]

 虫歯になる前にとにかく歯磨き!と一緒で、やはり、契約上のトラブルになる前、契約前や代金支払前にトラブルを予防するのが肝心です。

 前回記事に続いて。

 「その契約大丈夫ですか?」のポイントを列挙します。基本的には、消費者側からみたチェックポイントですが、事業者の契約にも相通じるところはあるはずです。

1 相手
 まず、圧倒的に、相手が誰か、が重要です。
 
 つまり、契約相手が大丈夫ですか? という点。

 契約とは約束ですので、約束したことが守られるだろうという信頼関係が重要なこと、言うまでもありません。

 従って、契約相手が信頼に足る業者かどうか、それが一番大切です。

 特に、高額であったり、自分の健康に関わることとか、長期間にわたる契約をしようというような場合、失敗が許されないのですから、契約相手についてよく考えなければなりません。

 そもそも、

あなたは契約相手のことをどれだけ知っているか? 

 このことが大事です。

 よく分かりもしない相手との契約は、裏切られる可能性を多分に含んでいますので、要注意です。


2 その契約、必要ですか? これ、極めて重要です。

 特に消費者被害の多くはこのポイントです。

 例えば、金融商品など

あなたが「先物取引」をしたり、「社債」を買ったりして、たくさん儲けようとする必要がそもそもありましたか(もともとそんなこと考えていなかったのに、業者の営業マンが、うまいことをいうから、その気になったのではありませんか)

 また、高級布団など

あなたは元々の布団でも満足して暮らしていたのではありませんか


という、「もともと」に立ち返ることさえできれば、被害に遭わずに済むケースが非常に多いです。

 1回きり、低い金額なら「衝動買い」も結構ですが、自分の生活を苦しくするかもしれないような「高額」契約の場合は、「その契約、必要ですか?」の点に立ち戻って下さい。

3 値段 これ、もちろん重要です。
 既に、1,2で述べた通りであって、高額のものであれば、相手の選定も、契約するかしないかも、より慎重にしなければなりません。

 さらに要注意なのは、

一括で払えないような金額の契約

1回当たりは低額だが、長期にわたり全期間トータルすると高額になる契約

です。

 住宅ローンや、スマートフォンの契約なども、この例に入る場合があるでしょう。

 結局、何十年又は何年単位で見たら、トータルで幾らかかるのか、それでもよいのか、を自分で考えなければなりません。

 そして、自分にとって、支払う金額に見合うものを得られるのか?がポイントです。

 「初期費用0円」的な広告に乗せられてはいけません。
 トータル幾らかかるのかの説明を相手に求めましょう。
 又は、自分で、資料を読んで計算しましょう。
 資料の理解が難しく、相手も説明してくれないなら、契約をやめるのが無難ですが、それでも、「やめるかどうか判断が付かない」なら、判断力のある人(高齢の方なら息子さんや娘さん、又は、弁護士など専門家)に相談しましょう。

4 契約内容(物やサービスの内容、期間、違約金など)の細部 これ、もちろん大事なんです。

 ですが、チェックポイントとしては、内容の細部以前に、

1 相手 2 大まかに言ってその契約が必要か 3 金額

を考えるのが先だと思います。

 ここまでの3点で立ち止まった上で、それでも、契約をしようかな、となれば、細部のチェックです。

 出来る限り自分でチェックして、おかしなことになる恐れがないかを点検しましょう。
 
 それでも不安や分からない点があれば、弁護士に相談して下さい。

 具体的には、

契約書に書いてあることの法律的な意味



契約書に書いてあることが文字通りにそうなるのか

といった点は、日本語を知っているだけでは分からないことがあります。

 たとえば、違約金(キャンセル料)の定めなどは、いくら契約書に高額な違約金が書いてあっても、消費者契約の場合は、法律によって「事業者に生ずべき平均的な損害を超える」部分について無効と定められています(消費者契約法9条1項)。

 あるいは、心配性の方の場合、逆に「どの程度まで気にするべきか?」という場合もあるかも知れません。その場合でも、一度、専門家を尋ねることは有効です。


5 最後に

 私が感じる一番大事なことは「賢い人でも契約に失敗することがある」ということです。これははっきり言えます。

 つまり、人間の判断力は一定ではないからです。判断力がちゃんとある人でも、契約したタイミングや状況によって、落とし穴にはまることはあります。

 大事なことは、契約しようとしている自分を、第三者の目で見ることができれば、極力失敗を防げます。
 一番いいのは、上記のチェックポイントを頭に置いて頂いて、大事な判断の場面では、「自分で自分を客観的にみる」(契約書にサインしようとしている自分を、そばに立ってみていると想像しましょう)ことを実践して頂くことでトラブルを防げれば、ということです。
 ただ、さらに大きな契約になれば、必要に応じて、弁護士や、あるいはその契約分野の専門家に、チェックを依頼したり、セカンドオピニオンをもとめることが必要です。どんな賢い人でも、自分を過信することは危険だからです。

 以上、資本主義社会、契約社会は、人に便利をもたらしてくれますが、怖いことが一杯です。
 上記記事を参考にして頂いて、みなさまが悔いのない経済生活を送って頂ければ、と思います。

 

その契約、大丈夫ですか? [弁護士業について]

 私が扱う事件の多くは、民事事件。

 民事というのは、何らかの取引上(借金、売買、賃貸そのほか。契約上といっても良い。)のトラブルです。

 近年、異常に数が多いのは、未公開株詐欺・社債詐欺その他です。

 通常は、問題が発生して(たとえば「騙された」と分かってから)弁護士等に相談します。
 確かに、これが普通だと思います。

 でも、たとえば、弁護士の力が及ばないのが申し訳ないのですが、騙されてお金を取られてから、それを取り戻す、ということは、ハードルが高いのです。たとえ弁護士を付けてもうまくいくとは限りません。

 訴訟で勝てるかどうか

だけではなく

 回収が可能かどうか(詐欺会社が既になくなっている場合、相手先が倒産している場合その他)

という問題があるからです。

 詐欺的なものに限らず、いくらか不安要素があれば、できれば、

契約する前に弁護士によるチェックを受けて頂ければ!!

と思います。

 たとえば、虫歯とか病気でもそうですが、予防することができれば、悪くなってからの治療よりも、よほど楽で、コストも低くて済むからです。

 問題の契約が、ややこしい契約ならば、契約書に判子を押す前に、

契約書を持って弁護士の相談を受けられることをお勧めします

 神戸の、私がいる事務所に来られる方ならば、いつでも私が相談させていただきます(←宣伝。神戸シーサイド法律事務所)。

 遠方の方は、お近くの弁護士事務所又は弁護士会へどうぞ。

 ともかく、弁護士が私でもそうでなくても、契約する前に、あるいはお金を払う前に、チェックすることによって、そこで引き返せれば(又は、契約内容を満足いくものに改めておけば)、その後、長い時間苦労する、あるいは大きな経済的負担に苦しむことがなくて済むケースは多々あります。

 ともかくも、以前ブログ(「これからの弁護士とのつきあい」http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2011-06-13)でも書いたのですが、これからの弁護士業は、タイムリーな知恵、工夫によって、人の悲しみ苦しみを上手く減らす、というものでなければ、という風に(新年にあたって改めて)思っています。

 そんなわけで、新年は心機一転、どんどん前に出て、よいと思うことをやっていこう、人の役に立てる喜びをエネルギーに研鑽を積んでいこう、と思っています。

 どうぞ皆様、今年も宜しくお願いします。

目の前にいる人の能力を [弁護士業について]

 
 松本復興相の辞任の話題から、とても、重要だと思われることを内田樹先生(神戸女学院大学)が書いておられます。

http://blog.tatsuru.com/2011/07/05_1924.php 内田樹先生のブログ

 復興相の発言の良い悪い、辞任の必要不必要そのものが中心論点ではありません。

 私の読んだところ、内田先生が指摘するのは、松本大臣が被災地の首長に対して、「どちらがボスか」をわからせるような行動に出た点でした。

 そのような行動に出た場合、相手は、萎縮し、その人本来が持っている知性の働きが鈍るものだ、とのことです。
 
 なるほど、と思います。
 自分も経験があります(萎縮した経験も、萎縮させた経験も)。

 今、被災地の首長の心身の状態は出来るだけ好調であっていただくことが何より必要なのに。その通りですね。

 
 これを翻って、私たち「専門家」も日々気をつけなければなりません。

 「専門家」ではない素人と話するとき、

「素人は黙ってらっしゃい」

という態度を取っていないかどうか?

 こういう態度は、相手の知的働きを鈍らせます。


 弁護士業では、トラブルに巻き込まれてパニックになってる人などを相手にします。

 つまり、知的な働きが本来よりも鈍っている状態の人を相手にすることも多いのです。

 そうしたときに、例えば、

「とりあえず、思っていることを言ってみてください。」
「(聞いて)なるほど、では、それを順に整理すると、① ② ③ こういう問題になりますね。」
「そうしたところ、今とるべき方法はAとBがありますね。」
「どっちが正解か難しいですが、あなたがこっちの点を大事にしたいならAで、こっちの点を大事にしたいならBでしょう。」
「どっちが大事か、一度ゆっくり時間をとって考えてみられたらどうですか。」

というような感じで、問題点を整理して、自分で「自分は何を求めていて、どういう解決を望むか」ということを考えやすくして、そこで、その人本来の知的働きを取り戻して差し上げる、それがよい仕事だと思います。


 「とにかく私は専門家なのだから、あなたは何も考えず、私に従いなさい。」は良くない。
 ただ、たまに「考えすぎて苦しんでいる人」がいて、そういう人には、「ある程度、『考えること』を専門家に委ねて楽になったら?」というアドバイスをすることはあります。


 弁護士 対 依頼者

 上司 対 部下

 先生 対 生徒

 夫婦間、友達間、先輩後輩…

 あらゆることにあてはまりますね。


 「私はあなたより優位」であることを確定したいために、相手の能力を下げるような行動はいけない。
 自分も相手も、それでは成長しない。

 自分も、相手も、より良い状態になって、高めあえるようなコミュニケーションが大切。

 大事なことを確認させてもらいました。

 

7/2(土)集会「災害復興支援にみる弁護士の公共的役割~司法修習生給費制の維持に向けて」~兵庫県弁護士会 [弁護士業について]

http://www.hyogoben.or.jp/topics/pdf/110702kyuuhiseisympo.pdf

 兵庫県弁護士会で集会があるので、ご案内します。

 例えば、震災で亡くなった方の遺族の相続について相続承認するか放棄するかの期間を特例で延長する法律を作ることや、震災でモノがなくなったにもかかわらずローンだけ残った状態を救済する法律を作ることなど、そういうことに、日夜、多くの時間を費やしている弁護士が何人もいます。(もちろん、弁護士みんながそうではありません。思いの方向は一致していても、活動の度合いは人それぞれです。)

 例えば、署名活動、弁護士津久井先生のブログ http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-881.html(勝手に紹介させてもらいます) 「(多額の)ローンだけ残った」問題を救済するために、より役立つ法律を作ってくださいというものです。
 10万筆を集めよう、というものです。
 私のこのブログを見られた方も、是非、御協力ください。
 この署名を携えて、弁護士有志が国会議員や政党と交渉し、より役立つ法律を作る、ということです。

 借金問題は諸悪の根源です。私は、このさい徳政令で良い、というくらいに思います。
 抜本的になんとかせよ、というこの呼び掛け、(方法論は色々ありえるでしょうが)必要なことだと思います。
 
先日「これからの弁護士とのつきあい」http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2011-06-13という記事で、 

(引用)これからは、今までのように、トラブルになってしまってからの「紛争処理」(訴訟など)よりも、「予防」とか「人がいかに賢く生きるか」のための弁護士の関わりの方に、価値が置かれるべきだと思います。  つまり、たとえば、トラブルになる前の「相談」などの仕事(その他「契約書作成」「遺言」なども含まれますが)で、弁護士がちゃんと収益を得て、事務所を経営できるようにならねばならないと思います。                                                         (引用終り)

 と私は書きましたが、上記の被災者を救済する法律をつくる活動は、まさに、紛争が起こった後の処理よりも価値の高い「予防」、あるいは、人々の生活基盤そのものをしっかりさせる活動そのものに他なりません。

 さて、とそうなのですが、上記記事引用の後半部分「トラブルになる前の…仕事…で、弁護士がちゃんと収益を得て、事務所を経営できるように」というのは、思い返すに、どうも書きすぎかもしれません。この記事を書いた後に、色々頭を捻りましたが、大企業相手の法務でもない限り、一般の個人の方を相手に、これで「事務所を経営」できるほど収益があげられる方法は思いつきません。要するに、これだけでは儲かりそうもないということです。(そもそも収益を上げる方法を思いついたら、私はブログには書かないかも知れません。)

 難しい話は、他の弁護士のブログとか、あるいは、この集会そのものに任せるとして、

国から給料をもらっているわけでもない一介の自営業者に過ぎない弁護士が、(それ自体は儲からず、むしろ持ち出しにすらなる)公共的活動ができるのは何故か?

ということと、

司法修習生の給料が国から出ること

との間には関係がある、ということです。
 もちろん、今の制度が全て良い訳ではないでしょうが、「弁護士が公共的役割を果たすのは当たり前」としても、その「当たり前」が現実に出来るかどうか、なぜ出来るかの仕組を考えましょう、というのがこの集会です。

 このテーマに興味のある方は、是非、タイトルの集会に足を運んでいただければ、と思います。


これからの弁護士とのつきあい [弁護士業について]

 
 通常、企業ではなく個人の抱える問題を扱う弁護士が、今のところ、収入の中心にしているのは、紛争です。

 つまり、喧嘩が起こった後に揉めている状態に対して、

示談

訴訟

調停

などで解決を図ることです。

 これは、

・ それ自体に相当手間がかかる(弁護士の仕事として)

・ その状態に置かれた人は弁護士を依頼せざるを得ない

ことが理由で、コストが高いです。
 つまり、弁護士費用も、それなりの金額になるというわけです。
 
 従って、今、弁護士の収入源といえば、大きな割合を占めるのがこういった紛争解決業務(訴訟など)となるわけです。

 なのですが、こういった訴訟などの「需要」が大きいことや、増えることは、社会的に望ましいかといえば、望ましくないわけです。

 たとえば、

・ サラ金に対する過払い訴訟がたくさんある → 今まで、法や最高裁の判例を無視して、無知なひとからサラ金がたくさん利息をとりすぎてきたから。

・ 悪質先物取引業者への訴訟がさかん(だった時期がある、数年前) → そういった被害があったから。

・ 交通事故民事訴訟              → 事故そのものがなければそもそもない。

というわけで、訴訟などの弁護士「需要」は、社会の暗部の裏返しであるわけです。

 こんな訴訟はまだ良い方で、悪いことになると、

・ 別に訴訟沙汰にしようと思っていない人をけしかけて、無用に訴訟を起こす

ことで「需要」を生み出すことが、ことの性質上可能です。

 法律相談を受けて、その性質によっては、私はよくこう言います。

「そのようなことでわざわざ訴訟に持ち込む場合、それにかかる費用と時間はコレコレです。それでも、訴訟でなければどうしても気持ちが落ち着けられないなら仕方がないですが、よく考えてみるほうがよいです。『相手に対する気持ち』と、『費用』『時間』『労力』、それからあなたが人生で『本当にやりたいこと』『やらねばならないこと』。」
 こう言って、最初は「訴訟を起こしてください」と言っている依頼者の「需要」を、「経済的に大きな需要」にはせず、「経済的にはごく小さな需要」として解決してしまうことは、日常非常に多いです。
 
 さて、そうすれば、弁護士は、

あまり良心的にやっては儲からない

ことになるのではないか?とも考えられます。が、上の「経済的に大きな需要」「小さな需要」の話は、あくまで短期的な話。
 相談相手の人生そのものに思いを馳せることなくして、目先の収益を上げたとして、その弁護士の業務は長続きするとは思われません。
 もし、数年間荒稼ぎをして弁護士をやめよう、と思えば、何でも出来るかも知れませんが。

 で、私が前々から思うのは、

紛争予防が大切である

ということです。

 「紛争予防」は、まあ、いえば、虫歯や歯科にたとえれば、歯磨きとか、フッ素コーティングとかそういうことです。さらにいえば、人の栄養状態そのものがもっと重要です。

 なので、たとえば

・ 契約書をきちんと整えておく(というより、個人の場合、契約内容をちゃんと事前にチェックしておく、契約に入る前に専門家に相談しておく、くらいのことが現実的)

・ 相続の場合、遺言(公正証書がなおよい)の作成

・ そもそも無用のトラブルが起こりそうな立場に近づかない(「保証人」になるとか、必ずしも組まなくても良い「ローン」で何かを買うこと、などを避ける)

・ もっといえば、「足を知る」生活をする(商業主義的コマーシャルにあおられず、ブランドモノより、自分の本当にしたかったことを大切にする)、自分自身の判断力を大切にする。

といったことにこそ、高い価値があると思われます。

 弁護士としても、トラブルになってからの相談を受けたとき、「その前に一言相談してくれてさえいれば」と思うことはいつもです。

 最近、法律事務所でも

「相談無料」

の弁護士事務所が増えました。

 確かに、理由は分かります。「相談無料」にすることのメリットはあります。そのほうが、アクセスのきっかけが増えるので、相談料は無料だったとしても、訴訟案件などの「需要」を得るチャンスが増え、経営には大いに役立ちますから。※ 実際に、その顧客にとっても助かりますしね。悪いことでないのです。

 でも、私の考えは逆です。

 これからは、今までのように、トラブルになってしまってからの「紛争処理」(訴訟など)よりも、「予防」とか「人がいかに賢く生きるか」のための弁護士の関わりの方に、価値が置かれるべきだと思います。

 つまり、たとえば、トラブルになる前の「相談」などの仕事(その他「契約書作成」「遺言」なども含まれますが)で、弁護士がちゃんと収益を得て、事務所を経営できるようにならねばならないと思います。

 トラブルに巻き込まれてしまった後の、人の不幸、労力、時間を考えるならば、それを30分の法律相談で避けられたとすれば、「値千金」でしょう。
 なので、ことによっては、30分5250円の法律相談料の何倍もお金を払ったとしても、トラブルに巻き込まれることを思えば実に安くついた、ということが十分にあり得ます。

 ちょっと前に、ちょっと頭を働かせる。
 このちょっとのことは、ちょっとした工夫で出来るのです。

 苦労するのが偉い、場合もありますが、そうでない場合もたくさんあるのです。

 訴訟になったら、大勢の弁護士が、何時間もかけて働く(その分だけ、裁判官、裁判所書記官、検察官も。税金も使われるのです)。このエネルギーロスはいかほど?肩こりの発生率はいかほど?

 ところが、それを、たった1人の弁護士が30分で防げるかもしれないのです。肩こりのリスクも減ります。

 「ちょっとの工夫で人を幸せにする」法律家になりたいです。
 そして、その「工夫」の余地など無限にあると思います。
 私の考えでは、この「工夫」は、依頼者を幸せにするし、法律家自身も無理をせず生活のトータルバランスを豊かにするコツになると思います。(法律家自身は感性を豊かに保っていなければ、まず、人のためになる仕事はできません。)
 
 訴訟に大勢の法律家が集まって…を発想の基礎にした場合は、もっともっと弁護士がいなくてはならない、という発想に行くかも知れませんが、それで人々は幸せになりません。
 この発想で居る限り、「もっともっと」と数が増えた弁護士の中には、経営上「もっともっと訴訟をしなければならない」と考える者が現れ、依頼者の人生トータルでの幸せを度外視して、無用の紛争をしかけたり、長引かせたりする者が出てくるのです。

 これは、私としてはいやです。

 日々豊かな感性を大切にし、人への愛に基礎をおき、創意工夫を大切にしてゆけば、「今までの常識」で思うよりも、ずっと少ない人数の人間(法律家)が、ずっと少ない時間や労力で、出会う人を幸せにしてゆけるはずです。

 要は、創意工夫。

 人にとって負荷が小さく、かつ、かゆいところに手が届く司法(弁護士)が未来の目指すべき方向でしょう。
  

東日本大震災 [弁護士業について]

 
 遅くなりましたが、東日本大震災で被害に遭われている皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 私自身は、この地で毎日従事しなければならない依頼案件が多くあり、また、その他実生活上の事情でも、例えば現地に行って(法律に関する相談等も多数と聞いています)法律相談ボランティアをする、具体的な作業をするというわけにいきません。

 私に出来ることは、この地で今、私が預かる案件につきベストを尽くし、日本国民(というくくりでよいか?とにかく、被災地のみならず、その周りの人々みんな。ゆえに、国籍問わない。)の状況を少しでもよくすることで、社会全体としての、復興に繋がる力を大きくすることだ、と思っています(それとささやかな義援金)。
 
 それと、自分の本来の業務の中で、地震関連で困っておられる相談を受けたら、出来るだけ質の良い、役に立つ回答をし、少しでも心を和らげる+状況を良くして差し上げられるよう、(阪神大震災後登録した私は余り日常の仕事で接することのなかった)震災関連法律相談の基礎知識を勉強しておくことだ、と考えています。
 この点、先月末、弁護士会で、私の尊敬する先輩弁護士、津久井進先生の弁護士向けの講義をビデオで見ました。
 1時間くらいで震災関連の弁護士活動について、阪神の時の経験、プラス今回はそれだけでは測れない点が、凝縮されていました。
 今は、ビデオ、ネットを通じて全国各地の弁護士が、この津久井先生の講義を聴講できるようになるのは時間の問題なので、おそらく1か月もすれば、全国の多くの弁護士は、震災関連に弁護士がどう関わるかについて、基礎はしっかり押さえた状態になると思われます。
 
 私自身は、していることは地震前と殆ど何も変わらない生活を送っているので、地震後に自分の生活が変わるのを余儀なくされた人、自分の生活を変えても各方面の支援に携わっている人たちのことを思うと、色々思いが湧きます。

 しかし、人それぞれ事情があるので、私も、その他の人も、おそらく多くの人は、自分本来の仕事や役割の中でベストを尽くすことが社会トータルで見れば被災地の方々にも役立っているという思いで、心身の健康に留意しながら、コツコツとやっていければ、というところではないか、と思います。

 「自分は何も出来ない」と凹まず、以前と同じ毎日の仕事をすることも立派、被災地支援・復興にも役に立つはず、と。
 
 また、戦争中のようなことではなく、「パッチ・アダムス」のようなもので、人の心に灯りをともすような諸要素(笑いなど)も重要なことでしょう。特に、今は。
 だから、早寝早起きして、自分も元気に、出来れば、周りの人も元気に出来るようにありたい、そう思います。

2011年もよろしくお願いします。 [弁護士業について]

 
 今日で仕事納めとなりました。

 色々と激動の世の中で、こうなってくると、何が変わっているのかを追っていってもきりがなく、何が変わらないのかを見極めるほうが物事の全体像(又は本質)を掴みやすいのではないか、という感が日に日に強くなっています。

 今年、色々な意味でお世話になった皆様全員に、御礼申し上げます。

 2011年もどうぞよろしくお願いします。

                                                      村上英樹

我愚かなり [弁護士業について]

 前の記事で、テニスを題材に、愚かなプレーヤーと賢明なプレーヤーの話をした。
 賢明なプレーヤー同士であれば、第三者である審判がいなくても、セルフジャッジでテニスの試合が成り立つ可能性が高い。
 愚かなプレーヤーが入ると、成り立たない可能性が高い、という話。
 そして、プレーヤーが賢明であるのが理想である。
 と同様に、実社会も、より賢明な人が増えて、無用のトラブルが減ることや、トラブルを未然に防止することに重点が置かれるようになってゆくのが理想である、という話でした。

 さて、そんな話をする私自身は、賢明どころか、実に、愚かであり、無用の争いや喧嘩をしてしまうことが過去にもたくさんあった。
 とりあえず、話を単純にするために、「アホ」か「天才」の2分法しかなかった少年時代に戻って、「賢明」と「愚か」で話を続けたい(もちろん、「中間」も実際にはあろう。)
 愚かであると言っても、常に愚かなわけではなく、賢明に振る舞えることもあった。
 大体、歳と共に、賢明の割合は増えているようにも思うが、完全に比例するわけでもない。
 自分の心身の状態が良いときは、賢明であることが多く、悪いときは愚かである傾向が強い。

 とまあ、そういうものであり、きっと人間である以上、みな、それぞれに、それなり「愚か」であることが大前提である。
 ただし、みなそれなりに「賢明」でもあり、より「賢明」であろうとする姿勢が大事、ということでしょう。

 つまり、これが司法なり、弁護士の仕事とどう関わる話かというと、

司法なり弁護士は、人をより「賢明」であるように導く存在であるべきでしょう

ということであって、

司法なり弁護士が、人に対し、無用の紛争を拡大させるような「愚か」な存在に導くのではいけない

ということであるように思います。

 たとえば、「自分が法に触れる悪いことをしているのを隠すための弁護をお願いします。」と言われたとき、「そんなことをしたら、これからも、あなたは悪いことをし続けるでしょう。そうしたら、また、『隠す』ための無駄な努力が必要になる。そんな弁護はお断りだ。悪いことをやめて、『隠す』必要のないことで生活していけるように方向転換したほうがいいよ。そのほうがあなたの利益になる。」と言うべき、これが弁護士の在り方であると思います。
 たとえ依頼を受ける仕事が減っても、そうしなければならない。
 弁護士は依頼者の利益の守るのだが、それは、目の前の利益に限らず、中長期的な大きな利益を見なければならない。

 そんなの当たり前って?そう当たり前です。
 しかし、実際には、依頼人の依頼を受けて仕事をするという弁護士の性質上、その当たり前が必ずしも当たり前とはいかない、というのが事実です。

 やはり、「我愚かなり」と同じで、理想通りに行かないのが現実としても、しかし、なるべく理想に近くあろうとする姿勢が大事だと思っています。

法曹人口(司法試験合格者数)の問題の位置づけ と 「草食男子」 [弁護士業について]

 私は、司法試験合格者数について、年間2000人を超える現在の状況では、新人弁護士の就職難などの問題や、弊害が多すぎ、年間1000人程度でやっていくのがよいと考えています。

 というと、「司法改革」に消極的な「保守派」「守旧派」の弁護士であるかと思われるかも知れません。

 しかし、昔のままがよいとか、昔に戻すのがよい、などと思っているわけではありません。

 むしろ、これから社会が進んで行く先を考えたときに、もはや、弁護士の人数だけの問題ではなく、隣接の士業、司法書士や公認会計士なども含めて、大きく変わらざるを得ない、その大きな流れの中で、司法試験合格者数を年間2000人にも3000人にもするのは無茶だ、という考えです。

 今、はっきりいって、弁護士、司法書士、公認会計士、税理士のようないわゆる「士業」全体について、景気が悪いです。
 景気がよい材料は「過払い請求」だけですが、これは一時的なものであと数年でおわりです。
 もともと、過払い請求は、その原因となったサラ金の「利息とりすぎ」そのものが、弱者の無知につけこんだ騙しのようなものなので、なくなって当然の仕事です。
 
 この「景気が悪い」が一時的なものであれば士業の営業にとってはよいですが、残念ながらそうはいきません。
 要するに、需要自体が構造的に減っていると思われる材料がたくさんあります。
 たとえば、税務申告などは素人でもパソコン、インターネットをつかって処理することが可能になり、もはや税理士、会計士に任せる必然性があまりありません。
 不動産登記にしても、まずはバブル期(それ自体が異常)と違って件数自体減りましたし、制度も徐々に合理的、簡明なものになっており、本人で処理することもしやすくなっています。
 
 弁護士の仕事もどうでしょうか?
 大企業はいざ知らず、中小企業の多くは経営が苦しく、トラブルになっても「お金がないもの同士の争い」、たとえ裁判で勝っても、負けたほうが支払を命じられた金を払えない(それじゃ裁判をやる意味がない)という事件の割合が大きくなり、訴訟をするに値する事件の割合は増えません。
 
 また、もう一つには、人々の気質のようなものの変化もあります。
 10年以上も前ですと、「破産」すると通知しただけで、債権者から怒鳴りの電話が鳴るのが普通でした。しかし、今は、そんなことは稀です。みんな物わかりがよくなりました。
 
 「草食男子」なんて言葉がありますが、若い男の子だけでなく、老若男女問わず、草食化している側面があります。
 
 が、私は、この「草食化」には、「成熟」の側面があると思います。要するに、ある面ではそれも結構なことだと思っています。

 例えば、破産状態、経済的に破綻している人に、いくら「払え」とか「ばかやろー」と言っても実際には何の得にもなりません。
 つまり、「草も生えていないところじゃしゃあないね。ほかの、草場を探そう。」という「草食」的思考は合理的です。
 草も生えていない地面に向かって、「ばかやろー、草をはやせ。いてまうぞこら。」と叫んだり、草が生えていないにもかかわらず地面を食べようとする「肉食」動物がいたとしたら、これは無理、無茶、無駄の三冠王でしょう。

 
 また、公教育が効果を上げ、国民全体の教育水準(知育だけでなく、情緒的な面も含め)が平均的に高まってゆくならば、おそらく、訴訟にならざるを得ないケースは減るでしょう。

 たとえば、審判をつけずセルフジャッジでテニスが出来るか?ということを想像したとき、プレーヤーが愚かである場合と、プレーヤーが賢明である場合とで、次のような違いがあるでしょう。
 賢明なプレーヤーは、1球のイン、アウトの判定についても、相手のするジャッジについて人がするものだから多少間違える可能性も想像できるし、また、それほど1球の判定にこだわることよりも、テニス技能の向上や、身体の健康そのものへの影響に関心があるので、要らぬトラブルを避けようとする傾向にあるでしょう。
 これに対して、愚かなプレーヤーは、目先の勝敗やスコアのみにこだわり、自分の健康のためにテニスをする場があるのにそれを台無しにしても、自分にとって不都合な相手のジャッジに必要以上にくってかかったりする可能性が高い。
 だから、プレーヤーが賢ければ賢いほど、セルフジャッジでテニスがトラブル無く成立する可能性が高いわけです。


 賢明なプレーヤーが特に第三者である審判を必要とせず、互いの間で問題を処理するセルフジャッジのテニスが理想的で、こういう社会像を目指してゆく必要があります。

 こうなれば、弁護士の関わりも、紛争の予防段階でも関わりですむことが多くなると思われます。
 賢明な人は、訴訟が起こってから対処するよりも、訴訟沙汰になるようなことを避けるために何が出来るか、を考えますから。
 相談業務や紛争予防のための書類作成は、たくさん時間がかかりません。また、費用も少なくて済みます。
 これは、弁護士の営業としては、一件あたりの儲けが少ないことになります。が、訴訟と違って、仕事の処理の効率がよいので、世の中に多くの弁護士を必要としないことになります。
 これはこれで良い社会なのです。

もちろん、すぐにそうなるわけでも、まっすぐに理想的な方向にいくわけでもないでしょう。
 たとえば、法の支配に真っ向から反する状態、弱者の無知につけ込んだ「利息取りすぎ」や、「サービス残業」や、インチキ的な「投機詐欺」などが世の中に存在し、それは、訴訟などで解決されなければなりません。
 離婚や相続紛争などはいつまでも一定数は存在するでしょうが、「利息取りすぎ(過払い)」「サービス残業」「投資詐欺」等は根絶させなければなりません。こんなもの(「過払い」など)が弁護士業の分野として存在し続けてはなりません。根絶して、たとえ弁護士の仕事が減っても、それは歓迎すべきことです。
 
 将来の社会のモデルとして描くべき像は、法の支配に真っ向から反する問題そのものが減り、そうではなく人が生きてゆく以上やむを得ず発生しうるような紛争(離婚、相続、商取引上の行き違い等)を念頭において、法律家が予防的に物事に関わって、コスト高で消耗の激しい訴訟沙汰のようなことが少なくなる社会であるはずです。
 

   
 さてさて、草食の話にもどりますが、「草食男子」の家には、女の子が一人でも安心して「泊めて」ということができる、そうです。
 よいことではありませんか(ただし、見立て違いに要注意、ですが)。
 女の子と見れば、別に特に好きでもないのに、セックスをしようとするのが「肉食男子」だとしたら、それがよいとも思われません。
 よいとも思われない、というのは倫理的にというのもそうですが、その人の利害としてもそうです。セックスをすることには、責任やリスクを伴いますから、自分の得るメリットとの比較から、割に合わない場合が多いだろう、ということです。
 自分にとって一定以上の深さで運命を共にしてもよい、と思える相手とだけセックスをする、ということは理にかなっています。
 
 とすれば、「草食化」は、合理的思考の浸透であり、なんやかんや言われながらも、日本の公教育もまあそれなりに効果を上げている証拠かもしれません。
 
 ところで、司法試験合格者数を年間1000人とした場合でも、一年あたり辞めていく人が300人くらいですから、

ニュートン算 (300mlの器に上から1秒あたり10mlの水を入れつつ、器の穴からから1秒あたり3mlの水が出て行くとき、あと何秒で500mlになるでしょう、という中学入試によく出るタイプの問題)

によれば、法律家(弁護士など)の人数はどんどん増加してゆくのです。
 
 
 私の予想では、近い将来、弁護士だけの話ではなく、士業(司法書士、公認会計士等含め)全体として、制度の大きな変更を含めて、在り方が変わることは避けられないとおもいます。
 その変更は、士業をコンパクトに整理する方向での変更にならざるをえない。
 
 だから、法曹人口3000人にするなどという小泉政権時代に決めた方向性は全く世の中の行方とは逆でどだい無理であって、もっと将来を見据えた責任あるビジョンを示すような司法政策ができないものか、と思うのです。

 もちろん、民主党政権にもそれを期待するのですが、そのような責任ある動きが未だはっきりとは見られないのが残念です。
 政府ができないなら、野党が、ということで、自民党さん、公明党さん、共産党さん、みんなさん?たちあがれさん?にも大いに期待したいところですが。
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