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続 その契約大丈夫ですか? [弁護士業について]
虫歯になる前にとにかく歯磨き!と一緒で、やはり、契約上のトラブルになる前、契約前や代金支払前にトラブルを予防するのが肝心です。
前回記事に続いて。
「その契約大丈夫ですか?」のポイントを列挙します。基本的には、消費者側からみたチェックポイントですが、事業者の契約にも相通じるところはあるはずです。
1 相手
まず、圧倒的に、相手が誰か、が重要です。
つまり、契約相手が大丈夫ですか? という点。
契約とは約束ですので、約束したことが守られるだろうという信頼関係が重要なこと、言うまでもありません。
従って、契約相手が信頼に足る業者かどうか、それが一番大切です。
特に、高額であったり、自分の健康に関わることとか、長期間にわたる契約をしようというような場合、失敗が許されないのですから、契約相手についてよく考えなければなりません。
そもそも、
あなたは契約相手のことをどれだけ知っているか?
このことが大事です。
よく分かりもしない相手との契約は、裏切られる可能性を多分に含んでいますので、要注意です。
2 その契約、必要ですか? これ、極めて重要です。
特に消費者被害の多くはこのポイントです。
例えば、金融商品など
あなたが「先物取引」をしたり、「社債」を買ったりして、たくさん儲けようとする必要がそもそもありましたか(もともとそんなこと考えていなかったのに、業者の営業マンが、うまいことをいうから、その気になったのではありませんか)
また、高級布団など
あなたは元々の布団でも満足して暮らしていたのではありませんか
という、「もともと」に立ち返ることさえできれば、被害に遭わずに済むケースが非常に多いです。
1回きり、低い金額なら「衝動買い」も結構ですが、自分の生活を苦しくするかもしれないような「高額」契約の場合は、「その契約、必要ですか?」の点に立ち戻って下さい。
3 値段 これ、もちろん重要です。
既に、1,2で述べた通りであって、高額のものであれば、相手の選定も、契約するかしないかも、より慎重にしなければなりません。
さらに要注意なのは、
一括で払えないような金額の契約
1回当たりは低額だが、長期にわたり全期間トータルすると高額になる契約
です。
住宅ローンや、スマートフォンの契約なども、この例に入る場合があるでしょう。
結局、何十年又は何年単位で見たら、トータルで幾らかかるのか、それでもよいのか、を自分で考えなければなりません。
そして、自分にとって、支払う金額に見合うものを得られるのか?がポイントです。
「初期費用0円」的な広告に乗せられてはいけません。
トータル幾らかかるのかの説明を相手に求めましょう。
又は、自分で、資料を読んで計算しましょう。
資料の理解が難しく、相手も説明してくれないなら、契約をやめるのが無難ですが、それでも、「やめるかどうか判断が付かない」なら、判断力のある人(高齢の方なら息子さんや娘さん、又は、弁護士など専門家)に相談しましょう。
4 契約内容(物やサービスの内容、期間、違約金など)の細部 これ、もちろん大事なんです。
ですが、チェックポイントとしては、内容の細部以前に、
1 相手 2 大まかに言ってその契約が必要か 3 金額
を考えるのが先だと思います。
ここまでの3点で立ち止まった上で、それでも、契約をしようかな、となれば、細部のチェックです。
出来る限り自分でチェックして、おかしなことになる恐れがないかを点検しましょう。
それでも不安や分からない点があれば、弁護士に相談して下さい。
具体的には、
契約書に書いてあることの法律的な意味
や
契約書に書いてあることが文字通りにそうなるのか
といった点は、日本語を知っているだけでは分からないことがあります。
たとえば、違約金(キャンセル料)の定めなどは、いくら契約書に高額な違約金が書いてあっても、消費者契約の場合は、法律によって「事業者に生ずべき平均的な損害を超える」部分について無効と定められています(消費者契約法9条1項)。
あるいは、心配性の方の場合、逆に「どの程度まで気にするべきか?」という場合もあるかも知れません。その場合でも、一度、専門家を尋ねることは有効です。
5 最後に
私が感じる一番大事なことは「賢い人でも契約に失敗することがある」ということです。これははっきり言えます。
つまり、人間の判断力は一定ではないからです。判断力がちゃんとある人でも、契約したタイミングや状況によって、落とし穴にはまることはあります。
大事なことは、契約しようとしている自分を、第三者の目で見ることができれば、極力失敗を防げます。
一番いいのは、上記のチェックポイントを頭に置いて頂いて、大事な判断の場面では、「自分で自分を客観的にみる」(契約書にサインしようとしている自分を、そばに立ってみていると想像しましょう)ことを実践して頂くことでトラブルを防げれば、ということです。
ただ、さらに大きな契約になれば、必要に応じて、弁護士や、あるいはその契約分野の専門家に、チェックを依頼したり、セカンドオピニオンをもとめることが必要です。どんな賢い人でも、自分を過信することは危険だからです。
以上、資本主義社会、契約社会は、人に便利をもたらしてくれますが、怖いことが一杯です。
上記記事を参考にして頂いて、みなさまが悔いのない経済生活を送って頂ければ、と思います。
前回記事に続いて。
「その契約大丈夫ですか?」のポイントを列挙します。基本的には、消費者側からみたチェックポイントですが、事業者の契約にも相通じるところはあるはずです。
1 相手
まず、圧倒的に、相手が誰か、が重要です。
つまり、契約相手が大丈夫ですか? という点。
契約とは約束ですので、約束したことが守られるだろうという信頼関係が重要なこと、言うまでもありません。
従って、契約相手が信頼に足る業者かどうか、それが一番大切です。
特に、高額であったり、自分の健康に関わることとか、長期間にわたる契約をしようというような場合、失敗が許されないのですから、契約相手についてよく考えなければなりません。
そもそも、
あなたは契約相手のことをどれだけ知っているか?
このことが大事です。
よく分かりもしない相手との契約は、裏切られる可能性を多分に含んでいますので、要注意です。
2 その契約、必要ですか? これ、極めて重要です。
特に消費者被害の多くはこのポイントです。
例えば、金融商品など
あなたが「先物取引」をしたり、「社債」を買ったりして、たくさん儲けようとする必要がそもそもありましたか(もともとそんなこと考えていなかったのに、業者の営業マンが、うまいことをいうから、その気になったのではありませんか)
また、高級布団など
あなたは元々の布団でも満足して暮らしていたのではありませんか
という、「もともと」に立ち返ることさえできれば、被害に遭わずに済むケースが非常に多いです。
1回きり、低い金額なら「衝動買い」も結構ですが、自分の生活を苦しくするかもしれないような「高額」契約の場合は、「その契約、必要ですか?」の点に立ち戻って下さい。
3 値段 これ、もちろん重要です。
既に、1,2で述べた通りであって、高額のものであれば、相手の選定も、契約するかしないかも、より慎重にしなければなりません。
さらに要注意なのは、
一括で払えないような金額の契約
1回当たりは低額だが、長期にわたり全期間トータルすると高額になる契約
です。
住宅ローンや、スマートフォンの契約なども、この例に入る場合があるでしょう。
結局、何十年又は何年単位で見たら、トータルで幾らかかるのか、それでもよいのか、を自分で考えなければなりません。
そして、自分にとって、支払う金額に見合うものを得られるのか?がポイントです。
「初期費用0円」的な広告に乗せられてはいけません。
トータル幾らかかるのかの説明を相手に求めましょう。
又は、自分で、資料を読んで計算しましょう。
資料の理解が難しく、相手も説明してくれないなら、契約をやめるのが無難ですが、それでも、「やめるかどうか判断が付かない」なら、判断力のある人(高齢の方なら息子さんや娘さん、又は、弁護士など専門家)に相談しましょう。
4 契約内容(物やサービスの内容、期間、違約金など)の細部 これ、もちろん大事なんです。
ですが、チェックポイントとしては、内容の細部以前に、
1 相手 2 大まかに言ってその契約が必要か 3 金額
を考えるのが先だと思います。
ここまでの3点で立ち止まった上で、それでも、契約をしようかな、となれば、細部のチェックです。
出来る限り自分でチェックして、おかしなことになる恐れがないかを点検しましょう。
それでも不安や分からない点があれば、弁護士に相談して下さい。
具体的には、
契約書に書いてあることの法律的な意味
や
契約書に書いてあることが文字通りにそうなるのか
といった点は、日本語を知っているだけでは分からないことがあります。
たとえば、違約金(キャンセル料)の定めなどは、いくら契約書に高額な違約金が書いてあっても、消費者契約の場合は、法律によって「事業者に生ずべき平均的な損害を超える」部分について無効と定められています(消費者契約法9条1項)。
あるいは、心配性の方の場合、逆に「どの程度まで気にするべきか?」という場合もあるかも知れません。その場合でも、一度、専門家を尋ねることは有効です。
5 最後に
私が感じる一番大事なことは「賢い人でも契約に失敗することがある」ということです。これははっきり言えます。
つまり、人間の判断力は一定ではないからです。判断力がちゃんとある人でも、契約したタイミングや状況によって、落とし穴にはまることはあります。
大事なことは、契約しようとしている自分を、第三者の目で見ることができれば、極力失敗を防げます。
一番いいのは、上記のチェックポイントを頭に置いて頂いて、大事な判断の場面では、「自分で自分を客観的にみる」(契約書にサインしようとしている自分を、そばに立ってみていると想像しましょう)ことを実践して頂くことでトラブルを防げれば、ということです。
ただ、さらに大きな契約になれば、必要に応じて、弁護士や、あるいはその契約分野の専門家に、チェックを依頼したり、セカンドオピニオンをもとめることが必要です。どんな賢い人でも、自分を過信することは危険だからです。
以上、資本主義社会、契約社会は、人に便利をもたらしてくれますが、怖いことが一杯です。
上記記事を参考にして頂いて、みなさまが悔いのない経済生活を送って頂ければ、と思います。
その契約、大丈夫ですか? [弁護士業について]
私が扱う事件の多くは、民事事件。
民事というのは、何らかの取引上(借金、売買、賃貸そのほか。契約上といっても良い。)のトラブルです。
近年、異常に数が多いのは、未公開株詐欺・社債詐欺その他です。
通常は、問題が発生して(たとえば「騙された」と分かってから)弁護士等に相談します。
確かに、これが普通だと思います。
でも、たとえば、弁護士の力が及ばないのが申し訳ないのですが、騙されてお金を取られてから、それを取り戻す、ということは、ハードルが高いのです。たとえ弁護士を付けてもうまくいくとは限りません。
訴訟で勝てるかどうか
だけではなく
回収が可能かどうか(詐欺会社が既になくなっている場合、相手先が倒産している場合その他)
という問題があるからです。
詐欺的なものに限らず、いくらか不安要素があれば、できれば、
契約する前に弁護士によるチェックを受けて頂ければ!!
と思います。
たとえば、虫歯とか病気でもそうですが、予防することができれば、悪くなってからの治療よりも、よほど楽で、コストも低くて済むからです。
問題の契約が、ややこしい契約ならば、契約書に判子を押す前に、
契約書を持って弁護士の相談を受けられることをお勧めします
神戸の、私がいる事務所に来られる方ならば、いつでも私が相談させていただきます(←宣伝。神戸シーサイド法律事務所)。
遠方の方は、お近くの弁護士事務所又は弁護士会へどうぞ。
ともかく、弁護士が私でもそうでなくても、契約する前に、あるいはお金を払う前に、チェックすることによって、そこで引き返せれば(又は、契約内容を満足いくものに改めておけば)、その後、長い時間苦労する、あるいは大きな経済的負担に苦しむことがなくて済むケースは多々あります。
ともかくも、以前ブログ(「これからの弁護士とのつきあい」http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2011-06-13)でも書いたのですが、これからの弁護士業は、タイムリーな知恵、工夫によって、人の悲しみ苦しみを上手く減らす、というものでなければ、という風に(新年にあたって改めて)思っています。
そんなわけで、新年は心機一転、どんどん前に出て、よいと思うことをやっていこう、人の役に立てる喜びをエネルギーに研鑽を積んでいこう、と思っています。
どうぞ皆様、今年も宜しくお願いします。
民事というのは、何らかの取引上(借金、売買、賃貸そのほか。契約上といっても良い。)のトラブルです。
近年、異常に数が多いのは、未公開株詐欺・社債詐欺その他です。
通常は、問題が発生して(たとえば「騙された」と分かってから)弁護士等に相談します。
確かに、これが普通だと思います。
でも、たとえば、弁護士の力が及ばないのが申し訳ないのですが、騙されてお金を取られてから、それを取り戻す、ということは、ハードルが高いのです。たとえ弁護士を付けてもうまくいくとは限りません。
訴訟で勝てるかどうか
だけではなく
回収が可能かどうか(詐欺会社が既になくなっている場合、相手先が倒産している場合その他)
という問題があるからです。
詐欺的なものに限らず、いくらか不安要素があれば、できれば、
契約する前に弁護士によるチェックを受けて頂ければ!!
と思います。
たとえば、虫歯とか病気でもそうですが、予防することができれば、悪くなってからの治療よりも、よほど楽で、コストも低くて済むからです。
問題の契約が、ややこしい契約ならば、契約書に判子を押す前に、
契約書を持って弁護士の相談を受けられることをお勧めします
神戸の、私がいる事務所に来られる方ならば、いつでも私が相談させていただきます(←宣伝。神戸シーサイド法律事務所)。
遠方の方は、お近くの弁護士事務所又は弁護士会へどうぞ。
ともかく、弁護士が私でもそうでなくても、契約する前に、あるいはお金を払う前に、チェックすることによって、そこで引き返せれば(又は、契約内容を満足いくものに改めておけば)、その後、長い時間苦労する、あるいは大きな経済的負担に苦しむことがなくて済むケースは多々あります。
ともかくも、以前ブログ(「これからの弁護士とのつきあい」http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2011-06-13)でも書いたのですが、これからの弁護士業は、タイムリーな知恵、工夫によって、人の悲しみ苦しみを上手く減らす、というものでなければ、という風に(新年にあたって改めて)思っています。
そんなわけで、新年は心機一転、どんどん前に出て、よいと思うことをやっていこう、人の役に立てる喜びをエネルギーに研鑽を積んでいこう、と思っています。
どうぞ皆様、今年も宜しくお願いします。
後遺症・後遺障害って何でしょう? ~後遺障害診断書の作成などについて [くらしと安全(交通事故その他)]
交通事故の例が多いのですが、スポーツ事故や、傷害事件など、要するに人が怪我をしたということに関して、非常に大きな問題になるのが後遺症、後遺障害です。
確かにそうで、骨折等のなかなか大変な怪我をした場合でも完全に治れば「後に残るような怪我がなくてよかったね。」といって、回復を喜ぶことが出来ます。
しかし、後遺症、後遺障害が残るとなると、怪我をするのは一瞬ですが、その後の生活に大きく響きます。
「後遺症」「後遺障害」という言葉は、判決などでもごっちゃになって使われることがありますが、一応、使い分けられることになっているようです。
(現時点のwikipediaより引用)
後遺症(こういしょう)とは、病気・怪我など急性期症状が治癒した後も、機能障害などの症状が残ること。
後遺障害(こういしょうがい)とは、傷害が治ったあとでも、身体に残っている障害を指す(自動車損害賠償保障法施行令(以下、施行令)第2条第2項の規定による)。
(引用終り)
それで、怪我をして、一定期間治療して、これ以上は目立った回復をしないとして、後遺障害を診断することを「症状固定」と呼びます。
損害賠償などの法律的解決をするのは、ともかくも、何らかの形で「解決」しなければならないということが前提にありますから、ここでいう「症状固定」というのも、「解決するための技術」の一つです。
というのは、人の体ですから、「固定」なんてことは本当はありません。
健康体であっても、常に動いています。(現に、私の喉は今、先週風邪をひいた後の症状から相当荒れていますが、キーボードを叩いている今の瞬間は、荒れている部分が徐々に治って行っている最中であるはずです。ですが、一方で、もしかしたら、私の眼は疲労によって幾分か機能が低下しつつある最中かもしれません。)
というわけで、「症状固定」というのは、人間の体の状態が文字通り「固定」するわけでは決して無く、お医者さんに診断をしてもらい「後遺障害診断書」を書いてもらうこと、と考えた方がすっきり理解できます。
じゃあ、「症状固定」といっても、お医者さんの判断とか、当事者の思惑とか、保険会社の圧力とか、諸々の事情によって、何とでも動くのではなないの?という疑問が湧いてきます。
この疑問は、ある程度当たっています。
基本的にはお医者さんの判断です。もっとも、「胸先三寸」だけで決まるわけではなく、「後遺障害診断書」があっても、後に裁判になって、例えば、裁判所が「症状固定の時期はもっと前である」と考えれば、お医者さんの判断通りにならない場合も中にはあります。
損害賠償問題で、損害賠償金額の計算のもとになる「後遺障害」について説明しますと、交通事故でもその他の事故でも、基本的に労災の基準を参考に考えます。
(交通事故案件について、参考 神戸シーサイド法律事務所HP http://www.kobeseaside-lawoffice.com/koutuu/index.html)
「後遺障害」というのは、基本的に1~14級の14段階に分けられ、基準が決まっています。
厚生労働省HP
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken03/index.html
交通事故の場合は、通常、裁判をするよりも前に、この基準にあてはまるかについて、自賠責事務所というのところが認定をします。
基準というのは、もちろんないと困るのですが、杓子定規な面もあって、その基準にちょっとでもあてはまらないと「等級無し」ということになってしまうことがあります。
「等級無し」となると、処理としては「後遺症無し」と同じことになります。
人の体ですから、そういう後遺障害認定基準にきっちりあてはまらないけれど、でも確かに本人にとってはなかなか大変な後遺症が残っているということもあり得るのですが、「基準にあてはまらない」というのは血も涙もなく「後遺症ナシ」と同じ扱いを受ける恐れがあります。
そこで、実際には、「後遺障害診断書」をお医者さんに書いてもらう際に、後の損害賠償のことを考えると、色々と注意しなければならないポイントがあります。
例えば、
・ 事故等の後遺症で関節が不自由になった場合に、関節の動く角度を測定するわけですが、その測定値について数字の基準があるので、目分量でいい加減に測定されてその結果が後遺障害診断書に書かれてしまい、一旦「等級に該当しない」となると、そのあと後遺障害の認定を受けることが難しくなるということ。
とか
・ ちょっとした記載の仕方によって、症状が実際よりも軽いと誤解される場合があり、一旦誤解を招くとそれを訂正することが困難であること
などなどです。
ですので、「診断書」というのは医師が自身の判断に忠実に書くのが本来ではあるのですが、実際には、「後遺障害診断書」に関しては、医師に作成を依頼する際に、弁護士が依頼者の状況を良く聴き取って、
・ 医師に、これこれこういう項目について漏れの無いように書いてもらって下さい。
・ こういう項目については、厳密に○○の検査をしたうえで、記入してもらって下さい。
等のチェックポイントを考えて、アドバイスをする必要があることが多いです。
場合によって、医師と面談をして説明を聞いた上で、損害賠償実務上必要と思われる項目について弁護士が説明して後遺障害診断書を作成してもらう、ということも必要です。
もちろん、「実際よりも、重い後遺障害があるように書いて下さい」なんてお願いをすることはできませんし、仮にしたとしても医師は自分自身の独立した判断で行動しますから、そんなことは実現不可能です。
ですが、ちゃんと書くべき項目は何か?記載した内容について損害賠償実務ではどのような扱いがされるか?という重要なポイントについて、医師とも考えを一致させたうえで、患者さんが不当な誤解を受けないように記入して頂く、ということが非常に重要です。
後遺障害の賠償となると、ある程度以上の重さのものは、一時にもらえる金額は数百万円以上になるなど「結構な額」のように一見思えるかもしれませんが、これは「一生、後遺症とつきあっていかなければならない代償」ですから、本当は幾らもらっても見合いません。
なので、後遺症が残る案件については、(もちろん実務上可能な範囲で、ということですが、)出来るだけ悔いの無いようにしておくことが必要です。
というわけで、「後遺障害」の認定、その損害賠償、というのは、本来固定するはずのない人間の体を「固定」したと一応みなして、色々の計算をするというのですから、ある種のフィクションを含んでいますが、実際の事案「解決」のために仕方ないフィクションである、と考えてやっていくしかない面があります。
私たち法律家としては、
「解決」に必要な「フィクション」は、それはそれとして、上手く付き合い、利用しつつも、
それにとらわれず、
「症状固定」って言われても相変わらず痛くなったり治療を受けたらちょっとは良くなったり色々変化があるんだけどなぁ、という、「本当の本当」の実情があることをちゃんと重視しなければならない(あくまでも苦しんでいる人が少しは楽になる方向で)、と考えるべき、というのが私のスタンスです。
この基本姿勢は大事に、来年以降もやっていきたいと思っています。
確かにそうで、骨折等のなかなか大変な怪我をした場合でも完全に治れば「後に残るような怪我がなくてよかったね。」といって、回復を喜ぶことが出来ます。
しかし、後遺症、後遺障害が残るとなると、怪我をするのは一瞬ですが、その後の生活に大きく響きます。
「後遺症」「後遺障害」という言葉は、判決などでもごっちゃになって使われることがありますが、一応、使い分けられることになっているようです。
(現時点のwikipediaより引用)
後遺症(こういしょう)とは、病気・怪我など急性期症状が治癒した後も、機能障害などの症状が残ること。
後遺障害(こういしょうがい)とは、傷害が治ったあとでも、身体に残っている障害を指す(自動車損害賠償保障法施行令(以下、施行令)第2条第2項の規定による)。
(引用終り)
それで、怪我をして、一定期間治療して、これ以上は目立った回復をしないとして、後遺障害を診断することを「症状固定」と呼びます。
損害賠償などの法律的解決をするのは、ともかくも、何らかの形で「解決」しなければならないということが前提にありますから、ここでいう「症状固定」というのも、「解決するための技術」の一つです。
というのは、人の体ですから、「固定」なんてことは本当はありません。
健康体であっても、常に動いています。(現に、私の喉は今、先週風邪をひいた後の症状から相当荒れていますが、キーボードを叩いている今の瞬間は、荒れている部分が徐々に治って行っている最中であるはずです。ですが、一方で、もしかしたら、私の眼は疲労によって幾分か機能が低下しつつある最中かもしれません。)
というわけで、「症状固定」というのは、人間の体の状態が文字通り「固定」するわけでは決して無く、お医者さんに診断をしてもらい「後遺障害診断書」を書いてもらうこと、と考えた方がすっきり理解できます。
じゃあ、「症状固定」といっても、お医者さんの判断とか、当事者の思惑とか、保険会社の圧力とか、諸々の事情によって、何とでも動くのではなないの?という疑問が湧いてきます。
この疑問は、ある程度当たっています。
基本的にはお医者さんの判断です。もっとも、「胸先三寸」だけで決まるわけではなく、「後遺障害診断書」があっても、後に裁判になって、例えば、裁判所が「症状固定の時期はもっと前である」と考えれば、お医者さんの判断通りにならない場合も中にはあります。
損害賠償問題で、損害賠償金額の計算のもとになる「後遺障害」について説明しますと、交通事故でもその他の事故でも、基本的に労災の基準を参考に考えます。
(交通事故案件について、参考 神戸シーサイド法律事務所HP http://www.kobeseaside-lawoffice.com/koutuu/index.html)
「後遺障害」というのは、基本的に1~14級の14段階に分けられ、基準が決まっています。
厚生労働省HP
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken03/index.html
交通事故の場合は、通常、裁判をするよりも前に、この基準にあてはまるかについて、自賠責事務所というのところが認定をします。
基準というのは、もちろんないと困るのですが、杓子定規な面もあって、その基準にちょっとでもあてはまらないと「等級無し」ということになってしまうことがあります。
「等級無し」となると、処理としては「後遺症無し」と同じことになります。
人の体ですから、そういう後遺障害認定基準にきっちりあてはまらないけれど、でも確かに本人にとってはなかなか大変な後遺症が残っているということもあり得るのですが、「基準にあてはまらない」というのは血も涙もなく「後遺症ナシ」と同じ扱いを受ける恐れがあります。
そこで、実際には、「後遺障害診断書」をお医者さんに書いてもらう際に、後の損害賠償のことを考えると、色々と注意しなければならないポイントがあります。
例えば、
・ 事故等の後遺症で関節が不自由になった場合に、関節の動く角度を測定するわけですが、その測定値について数字の基準があるので、目分量でいい加減に測定されてその結果が後遺障害診断書に書かれてしまい、一旦「等級に該当しない」となると、そのあと後遺障害の認定を受けることが難しくなるということ。
とか
・ ちょっとした記載の仕方によって、症状が実際よりも軽いと誤解される場合があり、一旦誤解を招くとそれを訂正することが困難であること
などなどです。
ですので、「診断書」というのは医師が自身の判断に忠実に書くのが本来ではあるのですが、実際には、「後遺障害診断書」に関しては、医師に作成を依頼する際に、弁護士が依頼者の状況を良く聴き取って、
・ 医師に、これこれこういう項目について漏れの無いように書いてもらって下さい。
・ こういう項目については、厳密に○○の検査をしたうえで、記入してもらって下さい。
等のチェックポイントを考えて、アドバイスをする必要があることが多いです。
場合によって、医師と面談をして説明を聞いた上で、損害賠償実務上必要と思われる項目について弁護士が説明して後遺障害診断書を作成してもらう、ということも必要です。
もちろん、「実際よりも、重い後遺障害があるように書いて下さい」なんてお願いをすることはできませんし、仮にしたとしても医師は自分自身の独立した判断で行動しますから、そんなことは実現不可能です。
ですが、ちゃんと書くべき項目は何か?記載した内容について損害賠償実務ではどのような扱いがされるか?という重要なポイントについて、医師とも考えを一致させたうえで、患者さんが不当な誤解を受けないように記入して頂く、ということが非常に重要です。
後遺障害の賠償となると、ある程度以上の重さのものは、一時にもらえる金額は数百万円以上になるなど「結構な額」のように一見思えるかもしれませんが、これは「一生、後遺症とつきあっていかなければならない代償」ですから、本当は幾らもらっても見合いません。
なので、後遺症が残る案件については、(もちろん実務上可能な範囲で、ということですが、)出来るだけ悔いの無いようにしておくことが必要です。
というわけで、「後遺障害」の認定、その損害賠償、というのは、本来固定するはずのない人間の体を「固定」したと一応みなして、色々の計算をするというのですから、ある種のフィクションを含んでいますが、実際の事案「解決」のために仕方ないフィクションである、と考えてやっていくしかない面があります。
私たち法律家としては、
「解決」に必要な「フィクション」は、それはそれとして、上手く付き合い、利用しつつも、
それにとらわれず、
「症状固定」って言われても相変わらず痛くなったり治療を受けたらちょっとは良くなったり色々変化があるんだけどなぁ、という、「本当の本当」の実情があることをちゃんと重視しなければならない(あくまでも苦しんでいる人が少しは楽になる方向で)、と考えるべき、というのが私のスタンスです。
この基本姿勢は大事に、来年以降もやっていきたいと思っています。
こんまりちゃん と my favorite things [音楽は素晴らしい]
![サウンド・オブ・ミュージック (2枚組) [Blu-ray] サウンド・オブ・ミュージック (2枚組) [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51mNO-UOEQL._SL160_.jpg)
サウンド・オブ・ミュージック (2枚組) [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- メディア: Blu-ray
最近読んだ本と、見たミュージカルと、2つから感じたことがあるので記事にしました。
こんまりちゃんは、近藤麻理恵さん(片付けコンサルタント)。http://ameblo.jp/konmari/
100万部を突破した「人生がときめく片付けの魔法」の著者です。
この本は、記述自体、読み物として、私にとっては相当面白い本でかなり楽しめました。
そして、片付けをする際の基準が、
家にあふれかえる物たちを、一つ一つ手に取ってみて、
「ときめき」を感じるかどうか?
を肌で感じて、「ときめき」を感じるものを家に残す、というもので、とても素敵な、いい考えだ、と思ってしまいました。
さて、それと通じると思うのが、映画(ミュージカル)サウンドオブミュージックの名曲「my favorite things(マイフェイバリットシングズ)」(私のお気に入り)。
私は、学生時代、英語の勉強は割と好きな方でしたが、中でも好きだった単語が「favorite」、和訳しても「お気に入りの」って、こんな可愛い単語なかなかないですよねえ。
最近、劇団四季のサウンドオブミュージックhttp://www.shiki.gr.jp/applause/sound/ 見に行ってきました。
とても元気をもらったのですが、「my favorite things(マイフェイバリットシングズ)」(私のお気に入り)の歌詞を日本語に直すと、
バラのしずく 子猫のひげ
ブリキの薬缶 あったかい手袋
紐で結わえた茶色の包み
といった感じで、「お気に入り」のものが、どんどん羅列されていくのです。
そういうものに囲まれていたら、泣きたい気持ちのときでも、私は大丈夫!という歌詞です。
実に素敵です。
こんまりちゃんの片付け方法も、家を、「my favorite things(マイフェイバリットシングズ)」(私のお気に入り)で囲まれた状態にしよう!というコンセプトなのですね。
現代社会は、複雑怪奇に発展してきています。
また、人には色んな思惑があって、その人が本心から望んでいないものを「買わなきゃ流行遅れのダサイ人になっちゃうぞ!」と脅しをかけて買わせるような仕掛けも一杯。
そんなものに誰でも少なからず影響を受けているのも事実。
仕事だって、人付き合いだって、本当に自分に必要なものを見分けて、自分に素直に生きられるということは、実際はなかなか難しい、という人も多いのでしょう。
それはそれで仕方ないし、必要な部分もある。
ですが、ときには、
自分にとって、本当に心ときめくもの、お気に入り、やりたいことは何か?
を見つめ直すのは、とてもいいことだと思います。
さて、この記事を読んで、こんな呑気な弁護士は大丈夫かしら?と思われるのはもっともです。
でも、私は大まじめに、仕事の上でも、こんまりちゃんの考えや、「my favorite things(マイフェイバリットシングズ)」の根底に流れる発想、人が自分の好きな在り方でおられて、幸せを感じる、ということを大切にしたいと思っています。
つまり、私の関わる多くの人が、「my favorite things(マイフェイバリットシングズ)」(私のお気に入り)に囲まれて、幸せな気持ちで生活していけるお手伝い、が本分だ、と考えているのです。
小難しい法律の条文や、解釈云々は手段です。その手段の扱いについては、私は職業人として日々研鑽しておかねばならぬわけですが、こういうややこしい、「心ときめかない」部分(普通の感覚ならそうでしょう)は、私に任せて頂いて、できれば、早期に適切に処理してしまって、皆様には、心置きなく、
心ときめくもの(お気に入りのもの)に囲まれた生活を送って頂きたい、
というわけです。
そんなわけで、今年も残すところわずかとなってきましたが、今後とも、皆様、どうぞよろしくお願いします。
憲法市民集会「フクシマから考える暮らしの安全」 [くらしと安全(交通事故その他)]
兵庫県弁護士会で11月12日に原発に関する集会をします。
http://www.hyogoben.or.jp/topics/pdf/111112kurashinoanzen.pdf
京大原子炉研究所今中哲二助教や、井戸謙一弁護士(元裁判官、志賀原発二号機差し止め訴訟の裁判長)が来られます。
私も、簡単ですが、原発問題に対する弁護士会の取り組みなどを紹介する基調報告をします。
近畿方面のかた、是非ご参加下さい。
http://www.hyogoben.or.jp/topics/pdf/111112kurashinoanzen.pdf
京大原子炉研究所今中哲二助教や、井戸謙一弁護士(元裁判官、志賀原発二号機差し止め訴訟の裁判長)が来られます。
私も、簡単ですが、原発問題に対する弁護士会の取り組みなどを紹介する基調報告をします。
近畿方面のかた、是非ご参加下さい。
「奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち」(小学館) [だから,今日より明日(教育)]
兵庫県神戸市の私立灘中学校、橋本武先生の授業について書かれた本です。
中学3年間かけて、横道にそれながら、中勘助「銀の匙」を読むのが、この先生の国語の授業。
教科書は使わず。
戦後の話です。
確かに、こんなことが許されるのも、トップ校の特権みたいなものかもしれませんが、教育の場面では、上から「型にはめる」よりも、現場の創意工夫というものが大切、ということを感じさせてくれる本です。
なので、学ぶ側(教育を受ける側。生徒、保護者。)も、「型にはまったもの、即効性のあるものを与えてくれるよう」望むのではなく、受け容れる幅を広く、素直な気持ちで学びに臨んでゆければ、先生も生徒も共同して充実した良い時間を過ごせるのだろう、ということになると思います。
一言で言えば、色んな面でおおらかさ、って大切だな、と思いました。
「Q&A モラル・ハラスメント」(明石書店 橋本智子ら著) [法律案内]
私も、離婚事件を扱うことがあります。というよりも、離婚事件は常に何件か抱えています。
離婚原因というのは法律できまっていて、
1 相手に不貞行為があった場合
2 相手から悪意で遺棄された場合
3 相手の生死が3年以上不明である場合
4 相手が強度の精神病にかかり、回復の見込みがない場合
5 婚姻の継続が困難な重大な事由がある場合
というのが民法の定めです。(この5つは法定離婚原因と言って、この理由があれば、一方からの離婚請求によって離婚できるというものです。もちろん、これに限らず当事者同士が同意して協議離婚することもできます。)
さて、ここで紹介する本のタイトル「モラル・ハラスメント」というのは耳慣れない人も居るのでは?と思います。
簡単に言うと「心の暴力」です。
いわゆるDV(ドメスティックバイオレンス)というのは、一般には、殴る蹴るというものであって、それならば、分かりやすいのですが、「モラル・ハラスメント」というのはそれとは違って、少し見えにくいものです。
つまり、必ずしも身体的暴力があるわけではないけれども、暴言とか、態度によって、精神的に支配され、苦痛を強いられ続ける、というものです。
「殴る」「蹴る」があるわけではないので、たとえば、離婚調停の場などで人に説明しようとすると、
・ ささいなことですぐ怒る
・ 怒ったら長時間説教を続ける
・ 怒ったら口をきいてくれない
とか、そういう風な説明になります。
このような説明というのは、その一つ一つだけとりあげると「日常ある夫婦の諍いの、ちょっとしたこと」「たいしたことがない」ように思われがちです。
なので、昔は特に、
「そんなことでは、離婚原因があるとはいえませんよ?お互い悪いところがあるのでは?」
といった感じで、ここでいう「モラル・ハラスメント」被害者が切々と訴えても、あまり聞いてもらえないこともあったようです。離婚調停の場などでも。
今は、さすがに、このような本も出ているくらいですから、ちゃんと言えば伝わります。
一個一個だけをみると大したことないように見えても、それを総合してみると、毎日の家庭生活において、構造的に、一方が一方を精神的に支配しており、そのせいで他方は大変な苦痛を感じ続けており、耐えられなくなっている
というのが、こういった被害の特徴であり、一方的に苦痛を強いられる意味では身体的DVの場合とも共通する、という例が多々あるようです。
こういう問題を、たとえば、上記のような本にまとめ発表することは、有意義なことです。
つまり、「言っても世の中にわかってもらえない」種類のことではなく、「世の中でも本になるくらいに認知されているパターンである」とわかれば、本当に苦しんでいる人が、自分1人で抱え込まずに、適切な助けを他人に求める第一歩になる、というわけです。
反面として、「モラルハラスメント」であったり、DVであったり、その加害者となる人自身の幸せ、と言う問題があります。もちろん、そんな加害行為を続けていることを許して貰えたら幸せという意味ではありません。
家族に対して害を加えずに生きていけるのが幸せに決まっています。
たとえば、離婚した後、また、違うパートナーと一緒になるとしたら、今度は、その人とは、対等な関係を築いて幸せになれたら、ということです。
心の在り方を、あるべき方向に近づけてゆく、というのですから、加害者のほうが、その後に本当に幸せになるには長い道のりかもしれません。
橋下徹氏を応援しません! [だから,今日より明日(教育)]
でも、応援するのですよ、脱原発では。それを実行してくれるというのなら、そのテーマではもう、熱烈応援します。
私は、○○さんがするから賛成とか、反対とか、そういう考え方はとりたくありません。
○○さんが言うのであれ、××さんが言うのであれ、よいものはよいしダメなものはダメだと言いたい。
このたび応援しません!というのは、
大阪府教育基本条例
のことです。
これはいけないと思います。
いけない理由はたくさんありますが、教育の基本理念を書いた第2条に
(5) 我が国及び郷土の伝統と文化を深く理解し、愛国心及び郷土を愛する心に溢れるとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する人材を育てること
という、「愛国心」という部分のほかに、
(6) グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること
というのまでが入ってきました。
「愛国心」そのものは良い「心」だと思いますが、法律で強制するようなものではない、そんなことをしたら有害だし、本当の愛国心は育たない、という話は、教育基本法改悪反対のテーマの中でたくさん書きました。
今回の主題は次のこと、この条例で出てきた新しい項目、
「国際競争」「に対応できる」「競争力の高い人材」
についてです。
これでは、教育というのも、ずいぶん貧しいものになる、という危惧を覚えるのです。
何でよ?というのは、確かに説明がいると思います。ちょっと長い文になりました。↓
現実問題として、日本も、日本の経済も、「国際競争」に晒されているので、「国際競争」を無視できない、ということは分かります。
はたまた、「競争」というものが進歩をもたらす側面を持つことも認めます。その進歩が、人の暮らしを豊かにし、困っている人を助けることがあることも認めます。
しかし、それでもなお、「国際競争」というものそのものが持つ、恐ろしさ、怖さ、非人間性(むごさ)というものは大きく、かつ、その「競争」そのものによって、勝者も敗者も常に強迫観念に駆られ、心休まるときはなく、しかも、いよいよ、アメリカや巨大資本でさえも、たとえば、リーマンブラザーズが極めて無責任な金融商品を売ったように、すぐに破綻するような「一時しのぎ」をするのでなければやっていけないような、「自転車操業」に近い状態に陥ることもある現代なのに、そのことを全く無視して、「国際競争」を当然として、それに「人」を合わせていこうとする発想法はおかしいとしかいいようがありません。
端的に言って、今までの学校生活でも、学校が楽しくなかったという人の、楽しくなかった理由の大きな1つは、
学校にいたときの強迫観念が嫌
というものではないかと思います。
自分が望んだわけでもないのに、苦手な勉強で、テストの点数を競争させられて、「点数が悪ければ親に叱られる」とか色々の強迫観念、そんなものに日常晒されることが幸せなわけがありません。
強迫観念のもとで、テスト用の「教科書ワード」は覚えたかも知れませんが、かえって、頭の自由な働きを奪われた人も多かったのではないでしょうか。
条例案のいう、「競争力の高い人材」というのは、競争に晒される「強迫観念」について鈍感な人間、とでもいうのでしょうか。
いや、成功体験ばかりの人は、「競争を楽しめる人」をイメージしているのでしょう。
でも、教育は、どの国民(この場合、府民)にも全てなされるものなのですよ。
だれもが競争を楽しめるわけがありません。「弱者に容赦なくたたみかける」のが競争の本質ですから。
例えば、私だったら、数学も英語も得意だったので、「勉強で競争せよ」「テストの点数で競争せよ」と言われても、別に苦はなく、勝ち目もあるので「競争を楽しむ」心境にだってなれたでしょう。
でも、そうではなく、「重量挙げで競争せよ」とか、「『脂っこいものを食べる競争』で競争せよ」とか、私の苦手なことで競争を強いられたら、とても「競争を楽しむ」心境になれません。
もしそんな日常なら、「強迫観念」が頭を支配し、きっとおかしくなってしまうことでしょう。
子どものころなら、それが出来ないことで「人格否定」されたように感じてしまいます。
私は、現実的に考えて、
学校教育で、競争をタブーにすべきだ
とは思いません。
むしろ、
社会にでたらある程度避けられない競争といかに付き合うか
競争のメリットデメリットをわかったうえで、競争によって、自分の人間性を破壊されないようにするためには、どうしたらよいか
というようなテーマについて、人生のヒントを与えるようなことが出来れば、良い教育だと思います。
けれども、「維新の会」の条例案は、全く違う発想であることは明らかです。
「国際競争」時代を生きていることは私も意識しないといけないとは思います。
それと無関係に、お気楽に、マリーアントワネットのように生きていくことは出来ないことは、肝に銘じておくべきでしょう。確かに。
しかし、「国際競争」の下に、弱者が、いや、表面的に「勝ち組」に見える人も、人が、本来したいこと、本来ありたいこと、本来大事にしたい幸せを犠牲にせざるを得なくなるようなことには、できるだけ有効な方法で抵抗していきたい、と思います。
そして、「競争」や目先の経済発展、過剰な便利さよりも、人間本来の幸せを大切にするというスタンスの人が増えれば、巨大なモンスターのようにみえる「国際競争」なるものの恐ろしい面が緩和されてゆくと思います。
日本の教育はそういう方向であらねばならない、と思います。
慎み深く、人を思い遣る、というのが日本人の大切にしてきた美徳であり、美しい心である、そういう日本を愛するというのならば、なおさら、そういう方向にならねばならない、と思います。
私は、○○さんがするから賛成とか、反対とか、そういう考え方はとりたくありません。
○○さんが言うのであれ、××さんが言うのであれ、よいものはよいしダメなものはダメだと言いたい。
このたび応援しません!というのは、
大阪府教育基本条例
のことです。
これはいけないと思います。
いけない理由はたくさんありますが、教育の基本理念を書いた第2条に
(5) 我が国及び郷土の伝統と文化を深く理解し、愛国心及び郷土を愛する心に溢れるとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する人材を育てること
という、「愛国心」という部分のほかに、
(6) グローバル化が進む中、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること
というのまでが入ってきました。
「愛国心」そのものは良い「心」だと思いますが、法律で強制するようなものではない、そんなことをしたら有害だし、本当の愛国心は育たない、という話は、教育基本法改悪反対のテーマの中でたくさん書きました。
今回の主題は次のこと、この条例で出てきた新しい項目、
「国際競争」「に対応できる」「競争力の高い人材」
についてです。
これでは、教育というのも、ずいぶん貧しいものになる、という危惧を覚えるのです。
何でよ?というのは、確かに説明がいると思います。ちょっと長い文になりました。↓
現実問題として、日本も、日本の経済も、「国際競争」に晒されているので、「国際競争」を無視できない、ということは分かります。
はたまた、「競争」というものが進歩をもたらす側面を持つことも認めます。その進歩が、人の暮らしを豊かにし、困っている人を助けることがあることも認めます。
しかし、それでもなお、「国際競争」というものそのものが持つ、恐ろしさ、怖さ、非人間性(むごさ)というものは大きく、かつ、その「競争」そのものによって、勝者も敗者も常に強迫観念に駆られ、心休まるときはなく、しかも、いよいよ、アメリカや巨大資本でさえも、たとえば、リーマンブラザーズが極めて無責任な金融商品を売ったように、すぐに破綻するような「一時しのぎ」をするのでなければやっていけないような、「自転車操業」に近い状態に陥ることもある現代なのに、そのことを全く無視して、「国際競争」を当然として、それに「人」を合わせていこうとする発想法はおかしいとしかいいようがありません。
端的に言って、今までの学校生活でも、学校が楽しくなかったという人の、楽しくなかった理由の大きな1つは、
学校にいたときの強迫観念が嫌
というものではないかと思います。
自分が望んだわけでもないのに、苦手な勉強で、テストの点数を競争させられて、「点数が悪ければ親に叱られる」とか色々の強迫観念、そんなものに日常晒されることが幸せなわけがありません。
強迫観念のもとで、テスト用の「教科書ワード」は覚えたかも知れませんが、かえって、頭の自由な働きを奪われた人も多かったのではないでしょうか。
条例案のいう、「競争力の高い人材」というのは、競争に晒される「強迫観念」について鈍感な人間、とでもいうのでしょうか。
いや、成功体験ばかりの人は、「競争を楽しめる人」をイメージしているのでしょう。
でも、教育は、どの国民(この場合、府民)にも全てなされるものなのですよ。
だれもが競争を楽しめるわけがありません。「弱者に容赦なくたたみかける」のが競争の本質ですから。
例えば、私だったら、数学も英語も得意だったので、「勉強で競争せよ」「テストの点数で競争せよ」と言われても、別に苦はなく、勝ち目もあるので「競争を楽しむ」心境にだってなれたでしょう。
でも、そうではなく、「重量挙げで競争せよ」とか、「『脂っこいものを食べる競争』で競争せよ」とか、私の苦手なことで競争を強いられたら、とても「競争を楽しむ」心境になれません。
もしそんな日常なら、「強迫観念」が頭を支配し、きっとおかしくなってしまうことでしょう。
子どものころなら、それが出来ないことで「人格否定」されたように感じてしまいます。
私は、現実的に考えて、
学校教育で、競争をタブーにすべきだ
とは思いません。
むしろ、
社会にでたらある程度避けられない競争といかに付き合うか
競争のメリットデメリットをわかったうえで、競争によって、自分の人間性を破壊されないようにするためには、どうしたらよいか
というようなテーマについて、人生のヒントを与えるようなことが出来れば、良い教育だと思います。
けれども、「維新の会」の条例案は、全く違う発想であることは明らかです。
「国際競争」時代を生きていることは私も意識しないといけないとは思います。
それと無関係に、お気楽に、マリーアントワネットのように生きていくことは出来ないことは、肝に銘じておくべきでしょう。確かに。
しかし、「国際競争」の下に、弱者が、いや、表面的に「勝ち組」に見える人も、人が、本来したいこと、本来ありたいこと、本来大事にしたい幸せを犠牲にせざるを得なくなるようなことには、できるだけ有効な方法で抵抗していきたい、と思います。
そして、「競争」や目先の経済発展、過剰な便利さよりも、人間本来の幸せを大切にするというスタンスの人が増えれば、巨大なモンスターのようにみえる「国際競争」なるものの恐ろしい面が緩和されてゆくと思います。
日本の教育はそういう方向であらねばならない、と思います。
慎み深く、人を思い遣る、というのが日本人の大切にしてきた美徳であり、美しい心である、そういう日本を愛するというのならば、なおさら、そういう方向にならねばならない、と思います。
「やさしい相続ノート」はじめました [法律案内]
今年度は、ある団体様から、相続法についてのシリーズ講義の依頼を受けました。
それをきっかけに(その講義のための準備をした成果を転用することにして)、「相続」についての簡単解説ホームページ(ブログ形式)を立ち上げました。
少しでも皆様のご参考になれば、ということで紹介します。よろしくお願いします。
http://hmsouzoku.exblog.jp/ やさしい相続ノート~弁護士村上英樹
※ とりあえず、予定分量の5分の1くらいが完成し、アップされています。(相続の承認・放棄に関する部分などはアップされていますが、遺言などについては未完成という状態です。)
今後順次、完成させていく予定です。
※ 「わかりやすく」といいながらも、言葉足らずであったりするところが多々あると思いますが、内容に関しても、できるだけ改訂作業を重ねて、よいものにしていきたいと思っています。
以下、(はじめに)のページを、そのまま載せておきます。
はじめに
弁護士村上英樹です。
弁護士を初めて10年余りになりました。
日々事件に取り組み勉強することが多い仕事です。
さて、今年は、ある団体からの御依頼を受け、「相続法」に関する講義(全5回)を担当することになりました。
その準備のために、大学時代以来、久しぶりに、「相続法」の基本書の全体を通して読む機会に恵まれました。
社会経験のない大学時代に勉強したときと比べ、遺産分割の調停などの経験をした上で、改めて勉強をすると、本を読んだときの感じ方が全く違うことが新鮮でした。
そこで、「相続」について、具体的には、遺産分割とか遺言などについて、平たい、分かりやすい言葉で解説するブログを作ることにしました。
少しずつ、内容を作っていきます。
今回私が読んだ、弘文堂「相続法-第3版」(潮見佳男著)の内容に準拠し、できるだけ私の言葉を交えて、法律知識の全く無い人でも読める解説を心がけよう、と思っています。
どうぞよろしくお願いします。
それをきっかけに(その講義のための準備をした成果を転用することにして)、「相続」についての簡単解説ホームページ(ブログ形式)を立ち上げました。
少しでも皆様のご参考になれば、ということで紹介します。よろしくお願いします。
http://hmsouzoku.exblog.jp/ やさしい相続ノート~弁護士村上英樹
※ とりあえず、予定分量の5分の1くらいが完成し、アップされています。(相続の承認・放棄に関する部分などはアップされていますが、遺言などについては未完成という状態です。)
今後順次、完成させていく予定です。
※ 「わかりやすく」といいながらも、言葉足らずであったりするところが多々あると思いますが、内容に関しても、できるだけ改訂作業を重ねて、よいものにしていきたいと思っています。
以下、(はじめに)のページを、そのまま載せておきます。
はじめに
弁護士村上英樹です。
弁護士を初めて10年余りになりました。
日々事件に取り組み勉強することが多い仕事です。
さて、今年は、ある団体からの御依頼を受け、「相続法」に関する講義(全5回)を担当することになりました。
その準備のために、大学時代以来、久しぶりに、「相続法」の基本書の全体を通して読む機会に恵まれました。
社会経験のない大学時代に勉強したときと比べ、遺産分割の調停などの経験をした上で、改めて勉強をすると、本を読んだときの感じ方が全く違うことが新鮮でした。
そこで、「相続」について、具体的には、遺産分割とか遺言などについて、平たい、分かりやすい言葉で解説するブログを作ることにしました。
少しずつ、内容を作っていきます。
今回私が読んだ、弘文堂「相続法-第3版」(潮見佳男著)の内容に準拠し、できるだけ私の言葉を交えて、法律知識の全く無い人でも読める解説を心がけよう、と思っています。
どうぞよろしくお願いします。
原発事故・損害賠償マニュアル 日弁連編 日本加除出版(株) [くらしと安全(交通事故その他)]
http://www.kajo.co.jp/book/40438000001.html
昨日、注文していたタイトルの本が届きました。
神戸市に事務所がある私のところに、原発事故賠償の相談があるかどうかは分かりませんが、ともかくも、重要な、大変な問題です。
ぱらぱらと読んでいるのですが、内容が濃いようです。
「マニュアル」というタイトルがついていますが、単なる「マニュアル」ではなく、政府の指針をカバーしつつも、それを杓子定規に適用して答えを出すだけではなく、さらにぐっと踏み込んだ考え方まで解説されています。
可能な限り被害の実態に寄り添い、万全の賠償を得られるように役立つように、というスタンスで書かれています。
たとえば、野菜のいわゆる「風評被害」について、次のような問題について。
(引用)
Q77 A県産のホウレン草から暫定基準値を超える放射性物質が検出されたために、A県産の他の野菜(トマトなども)も売れなくなった。トマトからは暫定規制値を超える放射性物質は検出されていないが、損害賠償請求は可能か。
(引用終り)
ここでいわゆる「風評被害」について問題となるわけですが、この本の解説は次の通り、
(引用)
中間指針において指摘されるとおり、いわゆる風評被害という表現は、放射性物質等による危険がないのに消費者や取引先が危険性を心配して商品やサービスの購入・取引を回避する不安心理に起因する損害という意味で使われることもあるが、少なくとも本件事故においては、必ずしも科学的に明確でない放射性物質による汚染の危険を回避するための市場の拒絶反応による損害と考えるべきである。
この場合、風評被害は、ある種の実害という側面を持つものであり、合理性が認められる限り、広く損害賠償の対象として救済されるべきである。
(引用終り)
という考え方から、平均的・一般的な人を基準として、このような事情があれば野菜であれば他の品目についても危険性を懸念し、敬遠したくなるのが無理のないことかどうか、という基準で判断し、
Q77の場合も、買い控え等により被った営業損害、就労不能等に伴う損害、検査費用について賠償請求が可能である
という回答をしています。
「風評被害」という言葉が適切か?についてそもそも問題があるのだけれど、政府の中間指針でもこの言葉が使われているので無視は出来ない。
でも、その被害の本体は「実害」という面をちゃんと持っているのだ、ということを押さえた上での解説がなされています。
執筆者の方がここをきっちり押さえられて記述されていることは、実に行き届いたことだと感じます。
この本が、役に立つことは間違いない。
賠償を行う側(東京電力など)の方々にも是非熟読して頂き、肝心の所をよく分かって頂いた上で、どうか今回ばかりは「支払う側、受け取る側」の利害対立ということにとらわれずに、相手の立場への十分な配慮に基づいて、賠償実務に望んで頂きたい、と思いました。
昨日、注文していたタイトルの本が届きました。
神戸市に事務所がある私のところに、原発事故賠償の相談があるかどうかは分かりませんが、ともかくも、重要な、大変な問題です。
ぱらぱらと読んでいるのですが、内容が濃いようです。
「マニュアル」というタイトルがついていますが、単なる「マニュアル」ではなく、政府の指針をカバーしつつも、それを杓子定規に適用して答えを出すだけではなく、さらにぐっと踏み込んだ考え方まで解説されています。
可能な限り被害の実態に寄り添い、万全の賠償を得られるように役立つように、というスタンスで書かれています。
たとえば、野菜のいわゆる「風評被害」について、次のような問題について。
(引用)
Q77 A県産のホウレン草から暫定基準値を超える放射性物質が検出されたために、A県産の他の野菜(トマトなども)も売れなくなった。トマトからは暫定規制値を超える放射性物質は検出されていないが、損害賠償請求は可能か。
(引用終り)
ここでいわゆる「風評被害」について問題となるわけですが、この本の解説は次の通り、
(引用)
中間指針において指摘されるとおり、いわゆる風評被害という表現は、放射性物質等による危険がないのに消費者や取引先が危険性を心配して商品やサービスの購入・取引を回避する不安心理に起因する損害という意味で使われることもあるが、少なくとも本件事故においては、必ずしも科学的に明確でない放射性物質による汚染の危険を回避するための市場の拒絶反応による損害と考えるべきである。
この場合、風評被害は、ある種の実害という側面を持つものであり、合理性が認められる限り、広く損害賠償の対象として救済されるべきである。
(引用終り)
という考え方から、平均的・一般的な人を基準として、このような事情があれば野菜であれば他の品目についても危険性を懸念し、敬遠したくなるのが無理のないことかどうか、という基準で判断し、
Q77の場合も、買い控え等により被った営業損害、就労不能等に伴う損害、検査費用について賠償請求が可能である
という回答をしています。
「風評被害」という言葉が適切か?についてそもそも問題があるのだけれど、政府の中間指針でもこの言葉が使われているので無視は出来ない。
でも、その被害の本体は「実害」という面をちゃんと持っているのだ、ということを押さえた上での解説がなされています。
執筆者の方がここをきっちり押さえられて記述されていることは、実に行き届いたことだと感じます。
この本が、役に立つことは間違いない。
賠償を行う側(東京電力など)の方々にも是非熟読して頂き、肝心の所をよく分かって頂いた上で、どうか今回ばかりは「支払う側、受け取る側」の利害対立ということにとらわれずに、相手の立場への十分な配慮に基づいて、賠償実務に望んで頂きたい、と思いました。
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