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青春を謳歌するための勉強法4~「拘束される時間」を最大限活かす 遊び時間・自由時間は自力で作る [だから,今日より明日(教育)]

 高校生がテレビに映っているのをみると、
「あの頃にもどりたい」
と言う人が結構います。

 でも、私は、高校生以前に戻りたいとは思ったことがありません。
 なぜなら、学校の授業時間の「拘束されている」状態がとても辛かったからです。

 今でも仕事中は抜け出せませんが、自分の机から立ち歩いてはいけない、というほどのことはありません。
 会議などは、授業中に近いものがあり忍耐が要りますが、さすがに大人になったので生徒時代ほど辛いというほどではありません。また、会議は自分が司会をしたり積極発言するなどすれば、「拘束される」つらさを軽減できます。

 さて、それでも何でも、「拘束されるのがイヤだ」と言っていても何の得もない、ということは中高生時代から分かっていました。
 であれば、「拘束される」時間を有効活用するしかないのではないか、というのが現実的な解決方法です。
 
 授業中は、どうせ拘束されている(遊べない)のですから、

授業時間を最大限に有効活用して勉強する、そして、できるだけ学校が終わってから勉強しなくて済むようにする

しかないのです。

 私の場合、考えてみると、別に、

勉強そのものが嫌い

ではありませんでした。

勉強にも面白いところがあるが、もっと面白いこと・刺激的なこと(スポーツ、音楽、遊び等)がたくさんある

ということでした。
 
 ですので、「もっと面白いこと」ができる時間帯はそれを楽しめば良いし、それが出来ない時間帯・環境の時は勉強をするのが楽しい中高生時代というものではないか、と思います。


 さて「拘束される時間」とはどんな時間でしょう?

学校の授業中
電車の通学中
留守番中
何かの待ち時間

など。
 順にみていきます。

1 学校の授業中 
 「真面目に先生の話を聴いてノートをとる」のが良い在り方だとされています。
 しかし、これでは少し甘いです。
 これだけだと頭の働きが受け身です。

 数学などの科目だと、いくら先生の話を聴いても力はつかないので、授業中に問題を解くとき全力で解く。その日の宿題を一つでも多く授業中に終わらせる気合いで解く。
 英語などの科目だと、授業中に読んでいる英文や書いている英文などを「身に染み込ませる」。単に読む、書くのではなくて、「感じながら読む、書く」。抽象的で分かりにくいかもしれませんが、具体的な一つの工夫としては「英文を口の中で超微小な声でつぶやくような感じ」で読み書きする、という感じです。言語なので、感覚に働きかけるのが上達の早道です。
 また、これは覚え込んでおくしかないと思うフレーズなどは、授業中に頭に刻み込んでしまう(ノートの端にもう一回書いてみるとか)のがいいでしょう。
 社会などは、初めての分野はどうしても先生の説明、板書をノートに、というのが中心になるでしょうね。「受け身」の度合いが強くなるのは仕方ないかもしれませんが、これも重要な語句(地名、人名、社会制度の名前)などを一つでも覚えてしまうように頭に刻み込みたい。

 授業を「受ける」のではなく、授業中に「自分から頭を働かせる」ようにしたいものです。
 見た目に「良さそうな授業態度」というのは意味がありません。
 私が塾講師をしていたときも、成績の良い子、伸びる子の授業態度は「お行儀の良い」ものではなく、どちらかといえば野性的な感じ、「学ぶ獣」みたいな雰囲気で、必死にテキストを読んでいたり、手を動かしていたり、ときにこっちを凝視してきたりする子が多かったと記憶しています。
 おとなしくしているのではなく、「拘束される」中でも、自分で動く、頭や目、手はフルに動かすのです。もっといえば5感をフルに働かせるのです。

 確かに「気合い」がいります。
 ですが、「気合い」を入れることによって授業中に成果を上げ「遊び時間を作れる」のなら安い物だと思います。
 授業時間を完全に「受け身」で過ごしてしまうと、復習のために同じくらいの時間を必要とします。
 授業中にしっかり自分から動いて勉強すれば、復習時間は少なくて済みます。その時間を発展学習や問題演習に使うことも出来るし、遊びや部活の練習に充てることもできます。

 でも、授業中に「気合い」入れる、そんな元気ないよ、という人は、自分の元気の源について考えることをお勧めします。
 食事はバランス良くとれていますか?睡眠時間は足りていますか?
 そのあたりを見直すことによって、「自分にはそんな気合いがない」と思っていたのは思い込みで、「俺にもこれほどの『気力』があったのか!」という発見に至ることもよくあります。

2 電車の移動時間
 これは「歯磨き型」などで書いてきました。
 できることは少し限られますが、これも「拘束される時間」。
 どうせ大した遊びはできません。
 また、通学時間などは都合の良いことに、「毎日20分」など決まっています。
 これなんかは、「英単語を覚える時間」「英語リスニングの時間」「読書の時間」(これも勉強に入れていいでしょう)に充てるのにちょうどよい。
 スマホのアプリ、SNSのチェックに充てるのはもったいないです。
 スマホのアプリ、SNS20分は省いて、英単語にしておきましょう。そんなの急に無理、という人は、学校の往復のうち「行きは英単語」「帰りはアプリ、SNSでもOK」という自分ルールにしましょうか。
 もちろん、英単語でなくても、「世界史」一問一答チェックとか、「化学」の暗記ものチェックとかでもよいでしょう。
 さすがに、数学はちょっとやりにくいですね。ただ、最近は「読み物」的な数学のテキストもあるので、そういう勉強をする人は電車の中でも可能です(でも、数学は「読み物」だけでは結局足りません。机で紙と鉛筆でやることを避けてはかえって遠回りします。)
 これによって学習効率が上がれば、一日20分よりも長く、勉強の心配から開放された「遊び時間」や「自由時間」が得られると思います。 

3 留守番、待ち時間
 こういうのもあるでしょうか。
 たとえば、病院の待ち時間。
 これ、実に退屈の一言です。
 しかし、スポーツに恋に忙しい青春まっただ中の中高生は、「あ~あ」とか思っている暇はありません。
 「どっちみち、遊べない時間」は勉強に活かして下さい。
 英単語、英語リスニング。いいですねえ。
 いや!「英単語とかばっかり、もういや!」という人は、読書でいいです。
 ちゃんとした字の本であれば、これは立派な勉強です。
 「現代文」などという科目(分野?)は範囲が広すぎて訳の分からない科目ですが、少なくとも高校入試・大学入試という意味では、ともかくもまず「長い文章を読むことに慣れていること」が絶対有利な条件です。
   

 以上のような感じで、今回は要するに「時間の使い方」の話です。

 「時は金」と言われますが、私は「時は命そのもの」だと思っています。
 自分の命ある時間がそもそも限られているのですから、その中でどれだけ自分が輝ける時間(又は、自分が心から楽しめる時間)を増やすか、それが悔いなく生きるためにとても大切なことではないでしょうか。
 そして、自分の時間の使い方を決めるのは自分だ、という意識は、学生時代でも社会人になってからも重要なものです(でもつい忘れがちになることでもあります)。
 私自身はもちろんそうしたいですが、本記事が読者の方の1人でも多くの方が自分の納得のいく時間の使い方をして生活を充実させて頂くきっかけになればうれしいです。
 
 
                     
 神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹


差し入れ「書籍」閲覧制限の違法判決…「死刑囚」の人権の制限はどうあるべきか? [弁護士業について]

 タイトルの件、弁護士ドットコムニュースにコメントをしています。  

https://www.bengo4.com/internet/n_5067/

 「死刑囚」といえば、凶悪犯人だから人権が制限されるのは当然だ、と思われる方もおられるかも知れません。
 
 しかし、死刑囚や受刑者であっても、憲法で保障された人権は最大限尊重されなければなりません。
 刑の執行や刑務所に収容する目的との関係で制限がなされることがありますが、それも必要最小限度でなければなりません。
 
 少しでも興味のある方は上のリンクから読んでみていただければと思います。

                       神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹

  

セカンドオピニオンその2 [弁護士業について]

 以前セカンドオピニオンについて書きました。
http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2015-10-06

 セカンドオピニオン万歳ではなく、「注意点」を書いたものです。

 そうなのですが、この記事を書いてから、むしろ

「セカンドオピニオンになるのですがいいですか?」

という相談を頂くことが以前より増えました。
 一方で、「いかにもあちこち弁護士回りをしているな」というようなセカンド(?)オピニオンの相談は上記記事をアップしてからはほとんどありません。

 私自身、体の治療法のことなどで、医師の友人・知人などにセカンドオピニオンを求めることもあり、それが助けになっていることがよくあります。

 ですので、相談者の気持ちは分かるので、もともと

セカンドオピニオンを求められるのも歓迎する

という立場です。

 ただ、依頼者の元弁護士との関係について話を聴いても、

「必ずしも依頼者寄りの意見を言うとは限りません」
「むしろ、割合として、反対のことのほうが多いです」

というのが前回の記事でした。
 さらに言えば、セカンドオピニオンを求められた弁護士について、「よく知らないで簡単に人の仕事ぶりを悪く言う」というのは良くないこと、ということを書きました。

 そういう記事を読んで下さっている方で、そのうえで、「セカンドオピニオンいいですか?」と言って来て下さることについては、私はこう理解しています。

自分に都合のいいことを言ってほしいのではなくて、本当のこと(正直に思うこと)を言ってほしい

から来られるのだ、と。

 こういう意味での真剣な相談の場合、それが、弁護士のセカンドオピニオンに当たるかそうでないかと関係なく、相談を受ける側としては、求めておられるものに応えたい気持ちが自然と湧くものです。

 弁護士の場合は、医者の場合と違って、「言うことをきかなければ死ぬ」ということは滅多にありません。
 ですので、依頼者に迎合しようと思えばできるし、一時的な人気をとる(売上を上げる)ためにそういうスタンスをとることも可能でしょうが、それは誠実ではない、依頼者のためにも社会のためにもならない、と思っています。

 もちろん、人それぞれの状況があって、(正論であっても)本人にとって余りにキツいことをストレートに言った場合に耐えられる心境かどうか、というのがあります。
 それには配慮せざるを得ません。
 配慮するのですが、それでも、伝え方は工夫しつつも、本人さんにとって都合の悪いことも、伝える必要があるならばキチッと伝える誠実さは大切にしなければならないと私は思っています。
 
 実際には、「(弁護士が自分に)都合の良いことを言ってくれない」ということで、その依頼者が離れてしまう結果になることもあります。
 ただ、それはやむを得ないことです。どうしても相性もありますし、一定期間にわたって依頼者と信頼関係を続けられる状態になければ、その人の依頼事件をすることは現実的に不可能です。

 その反面で、「ときに厳しい見通しも言われることがある。でも自分のためを思って本当のことを言ってくれている」という意味で信頼して下さる(私の真意を理解して下さる)依頼者が多くおられること、そのことが本当にありがたい、と思っていますし、それには全力で応えたいと思っています。

                        神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹




「USJを劇的に変えた、たった1つの考え方 成功を引き寄せるマーケティング入門」(角川書店 森岡毅氏著) [読書するなり!]

 読書評です。





 東京ディズニーリゾート(TDR)には何度も行きましたが、USJは開園当初に行ったきりであとは数えるほど、特にここ最近は全然行っていません。
 
 ただ、私の中の「開園当初のUSJ」の印象からは意外なほど、

若い人たちは頻繁にUSJに遊びに行っているし
遠くから、外国からUSJに来る人が多いし
大阪に来た人がやたらUSJを楽しみにしているし

というのが、何でなのか?と思っていたのです。
 その理由がこの本を読んで分かりました。

 簡単にいえば、ハリーポッターなど魅力的な出し物がどんどん出てきた、ということが要因なのですが、それらがただ思いつきとか短期的な魅力ということで出てきたのではなくて、

消費者の求めているもの、行動その他の要素の分析

がなされたうえで、

中長期的なパークの戦略の中で、本当に必要なものに限られた資源(お金、労働力など)を集中的につぎ込むこと

によって、今の魅力あるUSJになっている、ということでした。

 いや、私から見て「開園当初のUSJ」が別に悪かったわけじゃありません。
 ハリウッド映画の世界観を味わえる、それはそれで楽しめるパークでした。
 ですが、ハリウッド映画が特別好きだというわけではない私としては、いいパークだと思うけど、一回行ったらしばらくはもういいかな、という感じでした。
 この本によれば、通常の消費者というのは、だいたい私と同じような感覚だったようです。
 USJが元々持っていたハリウッド映画のテーマパークへのこだわりは、消費者の目線とは少しズレがあったようです。

 著者の森岡氏は、USJのマーケターとして、USJを「映画の専門店」から「世界最高のエンターテイメントを集めたセレクトショップ」にして、アニメ(「進撃の巨人」など)やゲーム(「モンスターハンター」)など多くのファンを持つ出し物を提供するようにした、とのことです。

 確かに、当初のハリウッド映画のアトラクションだけではなく、「ハリーポッター」「モンスターハンター」「進撃の巨人」となれば、私も見てみたい、と思えるのです。
 そして、それは多くの消費者がそうだ、ということが分析済みであるとのことです。
 
 私自身は、「世間に広く売れるものをつくる」というのとは求められるものが随分違う世界で仕事をしていますが、森岡氏の戦略的な考え方はとても参考になります。

 当然のことながら弁護士の仕事も、

・ 期日に追われて、裁判書類(準備書面)を書く
・ 裁判書類(準備書面)をとにかく長く書く
・ ただひたすら長時間の打ち合わせをする、現場に足を運ぶ

などということでは勤まりません。


・ その事件で、依頼者の求めるもの(又は、依頼者にとって真に価値のあるもの)は何か
・ その実現のためにどういう方法が採れるか(訴訟か、他の手続きか、など)
・ それを成功させるための要素は何か(何を証明しなければならないか)

などをしっかり見定めた上で、

・ 可能な限り、依頼者の求めることの実現という意味で成否を分ける部分にエネルギーを集中する。
・ (訴訟であれば)裁判官の立場を想像して、裁判官が正しい判断をするために役立つ主張をし、必要な証拠を出す(もちろん、裁判官が正しい判断をすることの妨げになりかねない無駄な記述などは極力避ける)。

ということを心がけることになります。
 
 訴訟に提出する準備書面を書く、依頼者と打ち合わせをする、現場を見にいく… どれ一つをとっても、「何となくやる」という感覚ではなく、できるだけ目的をハッキリさせて仕事をすること、その積み重ねが「仕事の質」になります。(ときには、まずイメージをつかむために、「とにかく現場」ということもあります。ただ、これとて、事件をやる上で役立つ「イメージをつかむ」という明確な目的があるわけです。)
 
 こうして書けば当たり前のことですが、実際は、日々スケジュールに追われる中で、弁護士も、特に何の意識も持たずに過ごすと、「何となく」スケジュール帳に書かれた打ち合わせ、裁判期日に臨み、〆切り日の迫った裁判書類を「間に合わせる」状態になりがちです。
 実は、こういうのは悪循環で、目的の定まっていない仕事の在り方は非効率に繋がり、ますます時間がかかり、自分自身の体力気力を奪っていきます。
 
 目的をハッキリさせて仕事に臨んだ方が効率よく、しかも、必要な部分に抜けることのない質の高い仕事ができます。
 ですが、これは常にそうしようという「意識」「心がけ」があって出来ることです。また、それができる心身のコンディションの維持も必要になってきます。
 私の場合、自分の仕事ぶりを自慢するという気になる要素はありませんが、ただ、自分が引き受ける仕事の目的を明確にして、効果的な(真に役に立つ)弁護士活動をするという心掛けだけは大切にしてきたつもりです。
 この姿勢は変えず、さらに磨いていきたいと思っています。
 
 本の話から弁護士の仕事の話に逸れてしまいましたが、この森岡氏の本を読んで、改めて、「戦略的思考」を意識し続けることの必要性を再認識しましたし、物事に対する「目の付けかた」という意味でとても勉強になるところがたくさんありました。

 頭が活き活きしてくる本、という感じでした。

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青春を謳歌するための勉強法~その3  「机でないとできない勉強」と「机がなくてもできる勉強」に分けて考える

 勉強法続きです。

 さて、「青春を謳歌するための勉強法」は、私が中高時代に実践した勉強法ではありません。
 
 「今、私が中高生だったら」こういうやりかたで勉強したい、という勉強法です。

 私自身は、簡単に言うと、「中3の一年間で普通の生徒の4年分くらいの勉強をした。」「中3時は食事、睡眠、風呂以外はほとんど勉強した。」「その他の学年、特に高校時代は、勉強時間はごく普通(進学校の生徒にしては短い方かも)。」というものです。
 とにかく特殊なので、万人にお勧めするやり方ではありません。
 私が「やり直す」としても、同じことは多分しませんので、私自身の経験は無視して、こうするのがよいだろう、という勉強法を書いています。

 また、もう一つの注意点として、「青春を謳歌するための勉強法」は、「長時間勉強をしていても、勉強している時間そのものが幸せです」というタイプの人(こういう人もたまにいると思います)には無用だと思います。

 「とにかく俺(私)若いんだから、たくさん遊びたい!(部活したい!)」という人のための勉強法です。

 とすると、時間を効率よく使うのが肝心です。
 そこで、「机でないとできない勉強」と「机がなくてもできる勉強」に分ける考え方が有効になってきます。これは私自身も意識して実践したことです。

「机でないとできない勉強」とは何でしょう?
 数学、理科(物理、化学、天文など)の問題を解くこと。
 和文英訳、英文和訳を、「テスト同様に」やること。
 他教科でも、「テスト同様に」問題演習をやること。

 実は、多分これくらいのものです。
 その他の勉強は全部「机がなくてもできる勉強」になります。

「机がなくてもできる勉強」
 英単語、英熟語、英語例文、古文単語を覚える。
 教科書、参考書を読む、覚える。
 「軽く」問題演習をする。

 こうしてみると、例えば、電車通学の人は「机がなくてもできる勉強」を通学時間に済ませるのが良い作戦ということになります。
 
 もちろん、電車通学の人でも、

電車が「意中の人」と一緒にいられる貴重な時間だ

という人は、その電車時間は勉強に充てない、それ以外の区間で勉強する、というのが良い方法になります。

 また、「机がなくてもできる勉強」は、負荷が軽いので、ファーストフード店や喫茶店、友達や恋人との待ち合わせの合間などでも行えます。
 少しずつでも隙間時間を利用して積み重ねれば、テスト期間中でも十分遊びにいけます。

 一方、「机でないとできない勉強」は、数学の問題を解くというのに代表されるように、とにかく集中してやる必要があります。
 これは時間の長さよりも集中力です。
 集中しないと余計に苦痛です。
 例えば、1時間などでもいいのでやると決めた時間は(漫画に手を伸ばしたりせず)ひたすらそれに集中してやるべきです。ダラダラ2時間よりよっぽど良いです。
 
 これが大変なように思いますが、一ついい方法があります。
 学校の授業時間をフル活用することです。
 授業時間は、「外へ出るわけにいかない時間」「漫画を読むこともできない時間」、要するに「遊べない時間」であることが確定しています。
 これは仕方ないので、「机でないとできない勉強」をする時間と割り切るのです。
 どうせ遊べないので、「遊びたいなあ」という未練をかなぐり捨てるのです。
 
 別に、(授業を無視して)「内職」をせよ、と言っているわけではありません。
 
 数学の授業などは、一時間ずっと先生がレクチャーしている、などということはないはずです。
 必ず、「教科書の類題1を解いてみましょう」などと言って時間をくれる、そういう時間が半分近くあるはずです。
 そのとき、

全力で解くこと

が肝心です。
 速い、遅いは個人差があります。
 それは仕方ありません。
 速い人でも、遅い人でも、授業中「解いてみろ」と先生に言われたら、

全力で解くこと

です。

 遅い人は、その時間フルに頭を働かすことで、その問題にがっつり取り組めます。その積み重ねが、理解にもつながるし、いずれ「速く」解けるようになることにつながります。

 もともと速い人は、とにかく全速力で解いて、言われた課題よりも前に前に進めます。さらにスピードがつきますし、宿題を減らすことができます。

 要するに、勉強(特に数学など)は、「先生の話を聴く」ということだけで力がつくものではなく、「自分で全力でやってみる」ことでしか力をつけることはできません。 
 
 学校以外で長時間勉強したくない(又は、する時間がない)、という人は、「授業時間中の演習時間に全力でやる」ことが大切です。
 この要領は、他教科でも同じです。
 
 
 受験期などになると、勉強の計画を立てることがあると思います。テスト前でも同じですね。
 ここで1日、1週間の時間配分を考えるとき、
A「机でないとできない勉強」
B「机がなくてもできる勉強」
に分けて考えると、パズルをはめ込むような感じで、計画を立てられます。
 1日のうちで、Aに向いている時間、Bに向いている時間は必ず分かれているはずなので、それに合わせた教科や、内容を組んでいけるし、実際に「できそうな気」がしてくるはずです。

 神戸シーサイド法律事務所                             弁護士 村上英樹


『天然パーマでいじめられ「縮毛矯正」した娘に学校が「戻せ!」、そんな対応はアリ?』 [法律案内]

 弁護士ドットコムの記事『天然パーマでいじめられ「縮毛矯正」した娘に学校が「戻せ!」、そんな対応はアリ?』にコメントしています。
 興味のある方はどうぞ↓

https://www.bengo4.com/shohishahigai/n_4772/
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160616-00004772-bengocom-soci

 限られた字数の記事の中なので、どうしても言葉足らずになってしまっていますが、奇抜な格好をしよう、というのではなく普通に学校に行くためにストレートパーマを当てる、ということならば、学校も柔軟に考えてあげればいいのにな、というところです。

 それでも、私が高校生だったころ(20数年ほど前)と比べれば、私の身の回りで見る限りは、今の高校生の方のファッションは「上品」になったと思います。

 茶髪、金髪への染毛の人、特に極端に明るい色の人などの割合は激減している。

 パーマも減った?特に、ドレッドとか、「とがった」感じの髪型は減った。

 でも、多くの人は「さりげなく」おしゃれ。黒髪、短髪でもおしゃれ。

 今の子たちは格好いいな、と思いつつ、「一つ上の世代」としては、中高生なのにまとまり良すぎでは?もうちょっと「はみ出し」てみてもいいのでは?と思ったり、奇妙な種類の「老婆心」が湧いてくる今日この頃です。
 
 各学校の校則の意義は否定しませんし、ルールを守ることも大切だと思います。
 でも、(弁護士ドットコムの事例は全然違うけれども)たとえ「奇抜な格好をしてみたい」ということであったとしても、そういう魂の自由さそのものはかけがえのないものです。その子の色んな力を伸ばす原動力です。
 個々の生徒の内から湧く力、魂の自由さをできるだけ損ねず、かつ、ルールのある社会で生きていくことも学んでいけるようにする。
 こういうのが学校の役割、先生の役割だと思います。想像すると、色々大変だろうなあ、体力・気力が要るだろうなあ、と思います。頭が下がる思いです。

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最高裁判決~「花押」では遺言に必要な「押印」と認められない [法律案内]

 最高裁は、平成28年6月3日の判決で、「花押を書くことによって、自筆証書遺言の方式としての『押印』の要件を満たしたとはいえない」という判断を下しました。

 花押は「かおう」と読みます。
 私もよく知りませんでしたが、要するに、漢字を崩した手書きのサインであるとのことです。
 ネットで検索すると、戦国武将や歴代首相のものもあって、それはそれで格好いいもののようです。

 ところで、遺言のうち、公正証書で作成するものではなく、自分で書く自筆証書遺言については、民法で方式が厳格に決まっていて、方式に従っていないものについては効力がありません。
 
 民法968条1項には

 自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない

と定められています。
 この「印を押」す、というのが、「花押を書く」でもいいか?という問題です。

 最高裁は、ダメだ、という判断を下しています。
 
 ここで、この最高裁の判断を題材に、法律問題を考えるときに役に立つ考え方の一つを紹介してみたいと思います。

 それが、

「形式」面と「実質」面を分けて考える


ということです。
 これは、法律問題に限らず、政治の問題や人々の間の利害調整や色んな問題を考えるときの一つの視点です。

 法律問題で言えば、

「形式」 法律の条文や、条文に書かれた文言(もんごん)、手続が正しいか、など
「実質」 法律の目的、趣旨(「こころ」のようなもの)、価値判断(「何を大切にするか」)など

というイメージです。

 それでは、今回の最高裁判決の一部を下に引用します。

(引用開始)
花押を書くことは,印章による押印とは異なるから,民法968条1項の押印の要件を満たすものであると直ちにいうことはできない。
そして,民法968条1項が,自筆証書遺言の方式として,遺言の全文,日付及び氏名の自書のほかに,押印をも要するとした趣旨は,遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに,重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ(最高裁昭和62年(オ)第1137号平成元年2月16日第一小法廷判決・民集43巻2号45頁参照),我が国において,印章による押印に代えて花押を書くことによって文書を完成させるという慣行ないし法意識が存するものとは認め難い。
以上によれば,花押を書くことは,印章による押印と同視することはできず,民法968条1項の押印の要件を満たさないというべきである。
                                (引用終わり)

 この引用部分を題材に、「形式」「実質」を分析してみます。

 まず、「全部形式論じゃん!」という意見を持つ人もいると思います。
 もちろん遺言の方式の話ですから、基本的に「形式論」の要素があります。
 ただ、その中にも、「形式」面にスポットを当てた部分と、「実質」面にスポットを当てた部分があり、これを分けて読めれば、判決文の読み方がグッと違ってきます。

1 まず、この部分は「形式」面の検討です。

「花押を書くことは,印章による押印とは異なるから,民法968条1項の押印の要件を満たすものであると直ちにいうことはできない。」

 「形式」において○か×か。
 少しわかりにくいですが、「『直ちに』いうことはできない」は△~×という感じです。
 「花押を書く」というのを、「押印」と解釈するのは、絶対にない解釈とは言えないが、普通にそのように解釈されるものでもなかろう、というくらいの判断です。

2 で、後の部分は「実質」面の検討になります。

「そして,民法968条1項が,自筆証書遺言の方式として,遺言の全文,日付及び氏名の自書のほかに,押印をも要するとした趣旨は,遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに,重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ(最高裁昭和62年(オ)第1137号平成元年2月16日第一小法廷判決・民集43巻2号45頁参照),我が国において,印章による押印に代えて花押を書くことによって文書を完成させるという慣行ないし法意識が存するものとは認め難い。」

 ここは、なぜ、自筆証書遺言に「押印」が必要か?を論じています。
 「押印」を必要とした法の趣旨「こころ」です。
  
「重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させる」というのが日本の慣行だ、だから自筆証書遺言には「押印」が必要だと民法が定めているのだ、ということです。
 民法は、重要文書は「ハンコ押して完成」という日本の慣行を重視している、ということです。

 ですが、日本で「花押を書くことによって文書を完成させるという慣行」があるとは認め難い、から、民法968条1項の趣旨(こころ)から考えてもやっぱりダメ、という判断です。
 「花押」というサインをして完成、というのは、ハンコと違って、日本での一般的な慣行とは言えない、という判断です。
 判決文には書いてありませんが、そもそも「花押」を知らない人も多いわけで、日本全体で一般に通用しているとまで言えないし…という感じでしょう。

 以上の通りで、「形式」面でみた場合は△~×という感じで、「実質」面でみると×、結局、花押を書くことでは自筆証書遺言に必要な「押印」とは認められない、という判決になっています。

 上にも書きましたが、

「形式」面、「実質」面を一旦わけて、両方考えてみる

というのは、物事を考える上で役に立つ見方なので、法学部生の皆さんはもちろん、そういう思考方法に馴染みのない方は少し意識してみられると、ニュースを見るのでも、日常の仕事でも新しい発見があると思います。

 なお、世の中の進歩や変化の中で、難しい、微妙な問題になることの多くは、例えば、

「実質」面で考えると ○ 

だが、

「形式」面で考えると ×

というように、「実質」からのアプローチと「形式」からのアプローチで結論が反対方向に行きそうな場合です。

例えば、試験で持ち込み許可物件として

「ボールペン、鉛筆、消しゴムに限る」

とあったとして、では

「シャープペンシルはOKか?」

というような問題です。

 「形式」的には「×」なのでルールとしてはアウトなのかも知れませんが、意味から考えて、シャープペンシルを禁止する理由は乏しいかも知れません。
 なので、この場合は、申出したらOKになるかもしれないし、今後ルール変更になるかも分かりません。
 制度とか法律が世の中に追いついていない、というときに、こういう「形式」と「実質」のずれが起こり易いものです。

 さて、今回の最高裁判決では、「形式」と「実質」との両方を検討した結果、「花押を書く」では自筆証書遺言に必要な「押印」にならない、ということになったわけです。

 なお、自筆証書遺言については過去の最高裁判決で、「指印」はOKとされています。こちらは「花押を書く」のと違って、「押印」と認められています。判断の基準は今回の判決と同じことが書かれている箇所がありますので、法学部生の方などは参照されておかれると良いと思います。

 あと、実際に遺言をすることを考えられる方は、次の点をご注意願います。
 よく言われることですが、遺言をする場合、自筆証書の作成は方式が整っていないと無効になる恐れがありますから、一定の遺産があって確実に遺言通りになるようにしたい場合は、公正証書遺言にされることをお勧めします。

                       神戸シーサイド法律事務所
                             弁護士 村上英樹





 



青春を謳歌するための勉強法~「その2 英語は毎日やる『歯磨き型』で対応する」

 ようやく、勉強法の続きです。

 中高生の皆さん、歯磨きしていますかー?
 毎日していますよね。
 そんなの当たり前じゃないか、という皆さん。
 
 英語勉強も「歯磨き」にしてしまいましょう。
 毎日決まったタイミングで、決まったようにやる。
 
 一番手っ取り早いのが、NHKラジオ「基礎英語」1~3、「ラジオ英会話」ですね。
 出来たら、毎日3回あるので、ラジオの放送時間にあわせて、どこか1日1回、月~金まで欠かさず聴きましょう。
 所要時間15分です(さらにやる気があれば、例えば基礎英語1と2のダブルで聴いて30分。これはさらに力がつきます)。
 費用はテキスト代だけ。塾代に比べたら格安。
 そして、これが実行できたら、英語は絶対得意科目になります。

 以上。

 なのですが、エッセンスを抽出して説明すると、

・ ラジオ講座でなくてもいいですが、英語は言語なので、「慣れ」「馴染み」「感覚」が大事なので、他の教科以上に、「(少しずつでも)毎日やる」ことが楽に上達するコツです。
 最近の参考書・問題集には音声CDつきが増えていますから、上手く使ってもらえると勉強が楽になると思います。

・ なので、学校や塾の宿題が例えば1週間分まとめて出されたとして、ギリギリにあわてて大量にやるよりは、「÷7日」(余裕をもって「÷5日」でもいいですね)で分量を決め、毎日少しずつやる方が効果があります。

・ 受験に向けていえば、ある程度しっかりした単語、熟語、例文集を1冊ずつバッチリ覚えれば、基礎力は十分になります。
 これなどは、毎日ちょっとずつやるしかありません。100ページ一気とかは出来ない性格のものです。
 毎日1ページ、毎日例文10個、自分で計画を立てましょう。無理ない量で。
 「ちょっとずつ」でいいですが、「毎日」やれるか、が勝負。
 ここでいう「毎日」は、1年365日でもいいし、例えば「日曜日だけ休み」というのでも構いません。
 これをやれば、東大でも京大でも、医大でも、(高校受験なら)私立・公立の進学校でも、英語に関しては、どこでも全然怖くなくなります。これ本当です。基礎力がしっかりしていれば、実際に入試に出題されるような長文読解などの練習を積むことも苦ではなくなります。
 「毎日やるか」ただそれだけです。
 (誰でもできるはずなのに)本当に毎日やる人が意外と少ない、というのが事実です。

 多くの人が「忍耐力がない」ということではありません。
 「毎日やる」効能が「ものすごい」、ということを知らない人が多数だというだけです。
 

・ 心がけとしては「毎日」です。
  でも、実際には、病気や部活の遠征などで「抜けてしまう日」があります。失恋のショックで一日くらい「抜けてしまう」こともあるでしょう。何らかの理由でサボりも起こります。
  こういうとき、「できなかった」は考えないことが大切です。
  マイナスは数えず、次の日から「毎日」です。
※ 「昨日歯磨きできなかった」ショックを引きずって、明日からの歯磨きを中止する人はいないでしょう。それと同じです。

 
 以上のようなことは、たぶん多くの学校の先生などが口を酸っぱくして言っていることだと思います。
 それに付け加えて私が言いたいことは、

・ 英語の勉強が「歯磨き」と同じ感覚になったとき、必要な忍耐力は「少しだけ」になり、人によっては忍耐力さえ必要なくなる。
  つまり楽になる。
  「歯磨き」をするために必要な精神的エネルギー程度で、毎日英語の勉強ができる。
  
・ これは、英語以外にも応用が利く。
  数学、国語、理科、社会、いずれもそうです。
  野球の素振り、ピアノの指の練習、ストレッチ… これらも同じ。
  ルーティーンに近い感覚で、毎日少しずつ自己鍛錬できる。
 (ただし、例えば、今までそういう習慣のなかった人が5教科一気に「歯磨き」をするのは、「5種類の歯磨き粉で歯を磨いて下さい」というのと同様キツいですから、まずは「英語」からでいいでしょう。)
 受験期が近づいて、苦手科目・苦手分野がある、というとき、例えば、「朝の10分、寝る前の10分はこれ(例 数学の苦手分野を一問、古文単語、物理の計算問題、社会のある分野の暗記などなど)をやる」というやり方もあります。これも「歯磨き」型の応用です。苦手意識や不安をかなり軽減できます。

・ また、通勤・通学などに電車・バスを利用している人は、そこで「歯磨き」できます。
 本当の「歯磨き」は電車の中でできませんが、「歯磨き」型の英語の勉強はできます。
 ですから、例えば、JRで30分の通学なら、これだけで毎日の基本となる英語の勉強はOKとなります。
 学校の宿題(机に座ってやるしかない宿題)のほかに毎日10分、20分でも電車で勉強したら、間違いなく英語は得意科目になります。
 ハッキリ言って、電車の中では大した遊びも活動もできません。スマホのアプリよりも、みんなでサッカーをしたりカラオケに行く遊びの方が、楽しさも大きいはずですよ!
 なので、電車の時間を「歯磨き」の英語に充てて、生まれた余裕の時間で思いっきり遊んだ方がいいです。

 余談ですが、電車通学の場合、通学時間に「寝る」のはアリだと思います。
 電車に揺られて少しのうたた寝は、意外と効果的に体力気力を回復させてくれます。
 ですので、通学時間に「寝る」とか、「瞑想する」とか、そういう自分にとっての好調を維持するスタイルを確立している人は、無理に電車で英語の勉強をしなくてもいいと思います。


 最後少し話が逸れましたが、英語の学習をできるだけ「歯磨き型」にして、少しずつでも毎日やると、成績は安定しますし、精神衛生上も良いです。「自分は毎日英語をやっている」と思うと安心感がありますよね!
 
 英語を「歯磨き型」で毎日やって、「よく遊び、よく学べ」の青春を謳歌する人が一人でも増えれば幸いです。

                      神戸シーサイド法律事務所
                               弁護士 村上英樹   
 
 

「最強の教養 不確実性超入門」 [読書するなり!]


最強の教養 不確実性超入門

最強の教養 不確実性超入門

  • 作者: 田渕 直也
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2016/04/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 「なぜ、エリートですらバブルと暴落に踊らされてしまうのか?」という帯のこの本。

 予測不可能な出来事については、基本的に予測を「当てる」ことを期待できない。
 そうである以上、個々の「当たる」「当たらない」に一喜一憂したり、過剰な意味づけをすることなく、「期待値」で物事を判断するしかないし、「起こりえる最悪」が致命傷にならないだけの備えをしておくしかない。

 引いた牌が何かを当てることは基本的にできない「麻雀」なんかも、まさにこの考えで行くのが最善なのですが…

 ただ、実際には、「エリートですらバブルと暴落に踊らされてしまう」し、偶然によってもたらされた成功について過剰な意味づけ(「自分の力だ」というような)をして失敗することがある。
 むしろ、そのような失敗をしやすい性質が人間には備わっている。それには理由がある。

 …といったことなどが、分かりやすく書かれている本です。

 不確実なことに満ちている世界で、いかにして、自分のコントロールできることとできないことを区別し、コントロールできることに最善を尽くすか、また、そのための心がけや、気をつけるべきことはどんなことかを教えてくれる本でした。

 少し前、「勉強」の記事でも書いたことに通じます。

・ 学校でテストの点数をとる      → 不確実性を考えずに、基本的に努力でできる。

・ 社会で起こる出来事に対処する、仕事する    → 不確実性への対処を避けられない。

 ですので、生きるのに必要な力としては、社会に出れば、「学校のテストで点数をとる」ような考え方とは別の頭の働きが必要になってきます。(もちろん、「答えのある」問題を正解できる、ということは間違いなく一つの「強さ」そのものなのですが、しかし、それだけでは全ての課題に対処できないということです。)
 それが「不確実性」への対処であって、そういう意味で、多くの人にとって興味深い内容なのではないか、と思います。

                        神戸シーサイド法律事務所                           弁護士 村上英樹

今や、漫画でもセッターは思いっきり主役です!~ハイキュー [スポーツ!!]

 女子バレー、リオ五輪最終予選が始まっています。
 ブログも「勉強」ばかりでは疲れるので、バレーの記事を書きます。

 伝説となるであろう名セッター竹下佳江選手の引退後、どうなることかと思いましたが、宮下遥選手が奮闘していい感じだな、と思いながら観戦しています。
 宮下選手のひたむきさ溢れる雰囲気は見ていて清々しいですね!

 さてさて、竹下選手、古くは男子バレーの猫田選手(古すぎる?)などファンの心をつかんで離さない名セッターもいるのですが、やはり、主役はアタッカーでは?特に、ドラマアニメ・漫画ではそうなのでは?と思う向きもあるのではないでしょうか。

 否。今や、漫画でさえ、セッターは思いきり主役です。





 今のバレーボール漫画と言えば「ハイキュー」です。

 主人公は小さなアタッカー 日向松陽(ひなたしょうよう)君なのですが、彼とコンビを組むのが

天才セッター 影山飛雄(かげやまとびお)

です。準主役級の位置づけです。

 才能に恵まれながら、中学時代は自己中心的なプレーのためチームメイトの力を活かせない欠点を持っていたのが、高校に入り、日向松陽とコンビを組んで練習を重ねるうち心を通わせ、セッターとして一皮も二皮も剥ける急成長を遂げます。

 また、ライバル高校には、影山の先輩で、実力もルックスも抜群の

できすぎセッター(!?) 及川徹(おいかわとおる)

が登場します。
 影山よりも経験豊富で、個性の強いチームメイトにも硬軟織り交ぜて対応し、チームメイトの力を引き出す「トス」を的確に上げ続けます。
 ライバル校の主役の位置づけです。

 この漫画では、セッターは全く「地味」ではなく、超「花形」ポジションとして描かれています。
 セッターにスポットライトを当てた描写も面白く、また、昔のスポ根漫画とはひと味違って、対戦相手の強豪校の選手が強面(こわもて)なのに「高校生らしい、実にかわいい悩み」を見せていたりして、成長期の人間模様の描写もリアルで面白いのが「ハイキュー」です。

 さわやかなスポーツ漫画が読みたいなあ、という方にお勧めです!
 
 さてさて、今日の記事のテーマは「セッター」ということで、今日からも頑張れ、全日本のセッター宮下選手!!
 
                                     神戸シーサイド法律事務所
                                               弁護士 村上英樹                                               
 



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